QUARTETTO#17『ユア・マイ・サンシャイン』

※ハレ視点。

シリーズまとめ⇒QUARTETTO(カルテット)

愛されていると思ってた人から捨てられた。

プレイとしてはこれまでにもある。
捨てられる役と捨てていく役をするんだ。
ストーリー仕立てなもんで、最後にはよりを戻すんだけど。

会社からの帰り道で部長から届いたメールを見たときも、プレイの一環だと思った。
「でも、こないだそれやったけど?使い回し反対」
すかさず返信。
あ、そうだったね☆みたいな返信がそれに返ってくるものと思っていたが、どうも冗談ではないみたいだ。
そもそもプレイでもないらしい。
メールじゃはっきりしないため電話をかけて問い詰めたらはっきり振られた。
「だって飽きてるんだもん」と。
続けて何か喋っていたけど、もう聞きたくない。
一方的に通話を切る。
強い力で後頭部を殴られたような、っての、小説とかでは見かけるけど、実際そうなんだな。大袈裟な表現じゃなかったんだな。

おれたちのルールは「飽きたらそこで試合終了」だったんだけど、まさか自分が振られるとは思ってなかった。振るならおれからだろう。おれの人生、ずっとそうだったんだから。

このまま家には帰れない。
歩きながら、一緒に飲んでくれそうな奴に連絡しまくったけど、適当な奴が捕まらない。
最後の頼みとリツに電話したら出てくれなくて、三秒後に「アオイさん」とだけメールが届いた。
律儀なのはありがたいけど今日だけは欲しくなかった、この手の返信。

ツイてない日はとことんツイてなくて、悪いことには雨まで降り出した。
折り畳み傘を用意してたはず、と鞄を探ってみるが見当たらなかった。
家に忘れたか?
傘にまで見捨てられたと思うと、今度はやけくそな気持ちが沸き起こってきた。

(建物の窓に映るおれ、ほら、かっこいいじゃん。なんでこれが振られんの?「飽きてる」って?はあ?わけわかんねーんですけど、くそが)

今から電話をして考え直したかどうか確認してやりたかったけど、それはルール違反だ。
何よりおれのプライドが許さない。
プライド。
自分で言って笑ってしまう。

自嘲が合図だったみたいに、雨がぽつぽつと降り出した。
今日は金曜日。
明日は休み。
明後日も休み。
予定はパー。
よし、飲んでやる。
知らない飲み屋、片っ端から新規開拓だ。えいえいおー。

妙に昂ぶったおれは、さっそく目に入ってきた看板の店に飛び込んだ。

✳︎

遠くから雨の音がしている。

雨粒が数珠つなぎになって、いろんな記憶を連れてくる。

小学生、友達とケンカして負けた腹いせに校庭のかたつむりを潰した。

中学生、初めて付き合った子と初デート。あの日はたしか雨だった。動物園に行ったんだけど、雨だからか動物の臭いがいつもより強くて、あんまり良い思い出にならなかった。

高校生、折り畳み傘を持ち歩くようになった。二、三回盗まれて懲りたんだ。

そして、そうだ、どしゃ降りの夕方。
靴箱の前で、それまで一度も話したことのなかったクラスメイトと話したっけ。
ガタイが良くて、実家がスナック経営してて、授業中はほとんど寝てて、放課後は店を手伝ってるって言ってた。
声が低くて、喋るときはゆっくり喋って、おれの知ってる誰とも違った。
人の目を真っ直ぐに見て、手のひらが大きくて、誰とも競ったりしないで、おれのこと「うわべだけ」って見抜いて、へらって笑った。
普通にむかつくんだけど、超かっこいいの。
あいつの存在を意識するまで、おれから近づけないやつがいるなんて、思ってもみなかった。
おれを意識しない奴がいるなんて、思ってもみなかった。

働くときはジレって言ってたっけ。
見たこともないくせに見たことあるみたいに思い描けるのは、何度も想像したから。ネットで検索して、こんなのかな、いやこっちかな、って。

やってることは片思いだ。
自覚がなかったわけじゃない。
踏み出せなかっただけ。
だってあいつはおれの演技とか全部見抜いてたんだ。
恥ずかしくて死ねそう。

だけどやっぱり、踏み込むべきだったなあ。

いつまでも思い出すなら。
今でも忘れてないんなら。
名前は隣の席の女子に教わった。
「ジウ。慈しみの雨って書いて、慈雨だって。なんか、似合わないよね」。
え、似合う。
内心そう思いながら「うん」とか「まあ」とか、教えてくれた女子に合わせてた気がする。

すっげえ似合うじゃん。てかすっげえ呼びたいじゃん。今頃かっこよくなってんだろうなあ。悔しいなあ。あん時へんなプライド捨てて仲良くなってればなあ。

たぶん飲み過ぎた。人生で初めての失恋が原因かも知れない、とにかくなんか泣けてきた。今ごろリツの奴、アオイさんといいことしてんだろうなあ。そう思うとますます泣けてきた。雨音をBGMにピロートークとかおれがあいつとやりたいんだわボケが。

「ん?」

朝か。

しかし違和感を覚えて薄目を開ける。おれの頭の下敷きになっている逞しい腕。

(お?部長とよりを戻したのか?)。

二日酔いの頭がガンガンして記憶がおぼつかない。
部長?ほんとに?にしては張りがあるなあ。
手探りで腕をたどって、相手の首すじから頬に手をやった。
あれ?部長ってこんなにシュッとしてたっけ?別人?

「え?」

ようやく焦点が合わさった先に信じられないものがあっておれは生きてきた中で一番勢いよく寝返りを打った。

夢夢夢。
幻幻幻。
嘘嘘嘘。
無理無理無理フェイクフェイクフェイク!

深呼吸してもう一度ゆっくりと振り返る。

(ジウ)。

間違いなく、彼だった。

✳︎

生涯二度と出せないであろう奇声を発しながらおれはベッドの隅っこへ後ずさった。
意図せずしてその動きがシーツを巻き取ってしまい、ジウの格好が明らかになる。
グレーのスウェットパンツに、上半身裸。
慌てて自分の格好を見て、おれはもう一度悲鳴をあげる。
生涯二度と出すことはないと思っていた声がいとも容易く出てしまった。人間の予測なんてあてにならない。

「……ん、おはよ」
「えっ?!お、おは、おはよよよようYo!」

記憶がない、記憶がない、記憶がない。
どうしよう、どうしよう、どう振る舞うの正解だ?考えろ、おれ!

「ひ、久しぶり」

あほか。おれは真っ白になった頭の中に鉛筆で「あほだな」と書き添えた。あとはこいつの反応次第だ。どう出る?どう出るんだ?てかおまえ寝起きもかっこいいな!?

「昨日はずいぶん乱れてたな」くすっと笑われておれは三つの意味で打ちのめされる。

説明させてください。

そんな簡単に一線を越えるか?という意味と、そんな最高な時間を過ごしたのに覚えてねえのかよ、という意味と、何その顔かっこいい!という意味の三つです。以上。

「もしかして記憶ない?」
「ご、ごめん。実は、うん」
「相当飲んでたからな。うちに電話あったときは、ほんと、え、誰?と思った」
「悪い、話が見えない」
「あ、ほんとに覚えてないやつだ」
「ほんとだってば」
「知り合いの飲み屋からおれんとこに電話が来てさ。おまえのダチが酔い潰れてるから回収してって。誰?って聞いたらとりあえず来いと。行ってみて驚いたよ。ダチって、ただの高校時代のクラスメイトじゃん」
ごもっともな話とはいえおれの胸は痛んだ。
ただのクラスメイト、か。
まあ、でも、そのとおりか。
ただのクラスメイト。
ただクラじゃん。

「なんでおれに電話が来たか知りたくない?」
黙りこくったおれに彼は質問してくる。
「知りた、くない」
嘘、知りたい。
「知りたい」
「ずーっとおれの名前連呼してんの。酔っぱらいながら、ジウ、ジウって。あんま同じ名前いないしさ、年代も同じっぽいし、見当つけて電話くれた。あ、代金払っといたから」
「うそっ。あ、返す、もちろんっ、今すぐに」

慌ててベッドから降りたおれは、もう一度自分の格好を見下ろして何度目かの悲鳴をあげた。

「ごめん、いろいろごめん、謝りたいことたくさんあるんだけど、その前に一個質問させて。なんでおれもおまえも半裸なの?」

彼は「おや」みたいに眉を上げた。
それすらも眩しくて両手で顔を覆う。

「当ててみろ?」

耳元で囁かれたおれがノックアウト寸前まで追い詰められたところで、鈴の音がした。

救いとばかりに目を開けると、猫だ。猫様だ。

こんがり焼けたトーストみたいな背中。真っ白な靴下を履いたような四肢。目は翡翠色に輝いている。アオイさんとこの黒猫と同じ瞳。

「やあ、サニー」。

彼は猫の体をすくい上げるとそのちいさな額に唇を押し当てた。それから背中を優しく撫でて、もう一度額に口づけ、それでも足りないとばかりに頬ずりする。おれはいったい何を見せられているんだ?サニーというおれの名前に通ずるところのある猫と元同級生の、見ようによっては事後か?とばかりにフェロモンたっぷりなスキンシップを見せつけられているのか?ああ、そうか。そうなのか。

「……いいなぁ」。

ばかか。おれ、ばかだろ。はい、ばか。ばかばかばか。ばか決定。おめでとう、ばか。うっかりし過ぎだろ。思わず本音を漏らすとか。

「おまえにもしてやろうか?」
「えっ!」
「嘘だけど」
「あ、あはは」
「シャツにゲロ吐いたの。覚えてない?だから服を着てない」
「なるほど理解」
「貸すよ。サイズだいぶ違うたろうけど」

そう言って彼はベッドから立ち上がった。おれに背を向けてクローゼットの中を吟味する。
これはさすがに大きいな。
こっちが良いかな。
どうぞ時間をかけてお探しください。
おれはその背筋を舐め回すように見た後、部屋の様子をスクリーンショットする。
とにかく物が少ないからスクリーンショットは簡単だった。
念には念を入れて何度かスクリーンショットして、そうだ背筋もスクリーンショット。
と思った時には目の前に割れた腹筋があってまた悲鳴を上げた。

「これ、一番小さいやつ。着てみて」
「お、おう。サンキュー」

彼から受け取った彼シャツをのろのろと広げた。
まだ二日酔いが抜けきらないせいだと勘違いしたらしく、ミネラルウォーターを持って来てくれる。
そうじゃないけど、ありがたくいただいた。

「一応聞くけど、土曜日だし休みだよな?」
「あ、うん」
「頭痛ひどければ横になってて良いよ。簡単な朝ごはん作る。食べらんねえものは?あっても作りたいもの作るけど」
「ない」
「よし」

(ていうかおまえが作ってくれるんならなんだって食べるよ当たり前じゃんたとえ腐った食材でも這いつくばって食べます!)。

「おれの仕事も夕方からだから」
「へえ」
ふむ。
てことは?
意図を考えてみたけどよく分からない。そもそも無いんだろう。

彼がキッチンに立っているのを良いことに、受け取ったシャツの匂いを肺いっぱい吸い込む。肺胞が破裂する寸前まで吸い込んだら、今度は細く長く吐いていく。数回繰り返したおれは、サニーの視線を感じて動作を中断した。

「なあ、この猫どうしてサニーっていうの?」
「ああ、おれの名前、雨って漢字入ってるから。相性良いんじゃないかと思って。反対同士のほうが、補い合えそうじゃん」

おれは試されているのか?
それとも彼が天然なのか?

「じゃあおれとも相性良いんじゃない?だっておれの名前、ハレだし。晴れと雨。なんつうか、お似合いだよな」
「え、やだよ」
「そんなはっきり言う?」
「そいつはハレって顔じゃない。サニーって顔だもん」

言われてもう一度猫の姿を見やる。
なるほどわからん。

「なあ、おれたちほんとに何もなかった?」
「何が?」
「あっそ。じゃあ確かめるからお風呂借りて良い?」
「どうぞ。タオルも適当に使って」
「言われなくても使うっての。おまえと同じタオルとか最高じゃん」
「何か言ったか?」
「言ってねーよ」

ぷりぷりしながら浴室へ入ったおれはやっと一人になれて盛大な溜息をつく。

鏡の中を見るとそこには、頬っぺたを赤くしながら目を潤ませるイケメンが映っていた。

これが据え膳になんねーとか不能かよ。ったく。

✳︎

「は?そこでおわり?」おれの話を聞き終えるやリツの反応。
「え?ここでおわりだよ?」めげずに言い返すおれ。
「かつての片思いの相手と数年ぶりの再会を果たしました。一つのベッドでふたり裸で寝てました。だけど何もありませんでした。おしまい。って話をぼくは聞かされたの?」
「そのあと朝ごはん食べた。ほんと美味しくて惚れそうだった」
「いや惚れてんだろ?」
「夢みたいじゃね?同じ部屋で目覚めて手作りの朝ごはん食べさせてもらって」
「いやだから惚れてんじゃん」
「しかも彼シャツ着させてもらって」
「彼シャツって言っちゃったね」
「あ、そうそう。飼ってる猫の名前がサニーっていったの。もうおれじゃん?あ、おれとあいつずっと同棲してたんだなあって思って」
「あたま大丈夫か?」
「うん。それで満足して、帰って来ちゃった」

リツはもはや相槌も打ってくれなくなった。カウンターの中でアオイさんが微笑んでいる。マリア。

「連絡先は交換したんでしょう?またいつでも会えるよ。急に距離を詰めなくても」
「そう、さすがアオイさん。そうなんですよ。急ぎたくないなあって思ったんだよね。大切に育みたいというか」
「育むものがあれば、だろ?」
「リツくん」

さいきん気づいたけどアオイさんの言う「リツくん」には多大な効果があって、どんなにリツが興奮していても即座に平常心に戻すことができる。

今回もアオイさんの「リツくん」を受けたリツはそれ以上おれに何も言わずに目の前のアイスコーヒーをストローで吸い上げることに夢中になった。

アオイさんは催眠術か何かをマスターしたのかな?

「そういえば、部長さんとは別れたんだって?ごめんね、先にリツくんから聞いちゃって」
「うん。別れた。そういうルールだったから」
運命の再会の衝撃で忘れてたけど。
「昨日の閉店間際に部長さんがこのお店に来てくれてね」
「えっ、そうなの?!」
「ハレくんが誤解してるかも知れないと心配されていて」
「誤解?」
「部長さん、ハレくんに言ったんでしょう?『飽きてる』って」
ああ、そうだった。
そもそものきっかけはそれだ。
おれが記憶をなくすほど飲み歩いたきっかけ、運命の再会を果たすことになったきっかけは、元を辿れば、部長。
「もしかするとハレくんが主語を誤解してるんじゃないかって、部長さん、おっしゃっていたよ」
「主語を?」
「飽きてるのは部長さんじゃなくて、ハレくんだって。ハレくんが部長さんに飽きてるんだって」
「なんでそんなことあの人が言うの」
「ハレくん、寝言で部長さんの名前じゃなくて、ジウって呼ぶんだって」
「え」
「今回再会できた彼は、ジウって名前?」

神様いや聖母のように微笑むアオイさんに見守られながら部長へ謝罪と感謝のメールをする。

いっしょにすごせてたのしかったです。
光栄でした、幸せでした、ありがとうございました。

とりあえず思いついたままをそのまま送信すると、驚くべき早さで変身が届く。

新しい恋人を紹介します☆

メッセージとともに、ツーショットの写真が送られてくる。
「ばかじゃん」。
思っきし合成。
てか誰だよ。
笑える。
大切なことをこの人経由で伝えてくるとか。
あんたやっぱできる男だよ。

✳︎

アオイさんの店での報告会を終えて、もう一度スマホを見る。何度見ても見慣れない名前にスマホを落としてしまいそうになる。

「今度酔い潰れる時はおれの店にしとけよ。」

突然心臓付近を押さえてうずくまったおれを通りすがりのおばあちゃんが心配してくれる。大丈夫ですと笑顔で立ち上がって、少し歩いてまた立ち止まる。散歩中のゴールデンレトリバーにまで心配される始末。なんて気性の優しい生き物なんだ。

こんどよいつぶれるときはおれのみせにしろ、だあ?

ああ、このままじゃ殺される。
いつか間違いなくおれはこいつに殺される。

ので。

少しでも生存の望みがあるのなら、今度は自分から会いに行ってやろうと思う。
まったく使い道のなかったしょうもないプライドなんか、雨に流して。
誰からどう見てもかっこよくないおれで、会いに行くよ。