QUARTETTO#4『雨と光』

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「私を失望させてごらん」。

悪い大人の挑発に乗って、その夜ぼくは饒舌になる。
渦巻く独占欲とそれにともなう恐怖について、自分の嫌いなところ、好きな食べ物、色、遺伝子、最古の記憶、前世、この世界であなたがどんな危険に直面しているのか、際限なく、促されるまま際限なく話しつづけた。

「ぼくは、ときどき、あなたに死んで欲しい」。

ピリオドを含むひどい言葉を、あなたは目を細めて聞いている。じっとり、ではなくで、うっとりだ。これを聞いてまだうっとり?さすが大人だ。

まだいける気がしてぼくは続ける。

「あなた、が、傷つく可能性だとか、ぼくの前からいなくなる可能性、について考えると、たまらなくなる。本来なら世界と戦うべきなんだろう。でもその過程であなたを泣かせたり悲しませたくない。だから、死んで欲しいと、ひどいと思う、実際ひどいよね。依存が過ぎるよね、あとふつうに怖いでしょ」

あなたとぼく、あなたのお店が休みのときは、たいてい一緒にいる。ぶらぶらとショッピングすることもあれば、近所の公園へ散歩に行くことも。話すことは決まって他愛もないことで、こんなふうに露呈させたことはあまり、いや、ほとんど皆無だ。

失望した?
してない。わかってるくせに。
じゃあどんな感じ?
今すぐ抱きしめたい。
はっ?
だって、どんなこと話してても、きみの目が言ってる。私の存在が大好きでたまらないって。好きで好きではちきれそう、これ以上もうどうしたらいいのかわからないって。まあ、きみは気づいてないかも知れないけど。

反論するのもかえって子どもじみて見えそうで、何も言わずに頬を熱くする。これで正真正銘、肯定でしかない。

あなたはぼくのいちばん好きなやり方で頬杖をついた。目を離せない。何を言われても受け入れてしまう気がする。

きみは、自分だけだと思っているよね。そう考えているのが。
あなたも?
同じじゃないけど、聞いてたら少しわかる気がした。
意外。
きみは、自分を買いかぶりすぎ。私のことなんでもわかってると思ってるんだ。私は悪い大人だ。
知ってる。

今日みたいな過ごし方、最近ではめずらしい。雨の音を聞きながら目覚めて、朝食からちゃんととった。

私があの日きみに声をかける気になったのはね。

ぼくの耳奥で、ざあっと雨が降った。

きみがずるく思えたから。
ずるく?
そう。誰にも頼らず、助けを口にせず、生きていこうとしてた。
いやいやあの日は突然雨に降られて呆然としてただけ。
ひとりで生きていこうとしてただろう?
人の話きいて欲しいかな。
そんな若者の覚悟なんか邪魔してやりたいじゃない。ひとりで生きてやろうなんて。やろうと思ってできなかった大人が、そこかしこにいるんだよ。きみって無意識に挑発しちゃうタイプ。内側に閉じこもってるようで、ある層のこと刺激してくるタイプだよね。
はあ。
まあ、そのおかげで私といられるわけだけど?
異論はないです。

だからこそ、ちょっともう黙って。色気のないうめき声が、ぼくの喉奥に吸い込まれていく。抱擁する腕が、自分のではない背骨を数える。これからは社会のルールに則って、まともに生きていこうと誓う夜もあるよ。でも、今じゃない。それは今じゃないんだ。

よかったら雨宿りしていかない?
そう招き入れたあなたのもとを、雨が止んでも立ち去れない。夜も同じだ。あなたが飼っている黒猫のこと。翡翠みたいな瞳をしてる。黒猫の瞳は檸檬色だと思ってたぼくは、初めて夜を見た時おどろいたんだ。そして恐怖した。この猫、自分を人間と思ってやがる。しかも、あなたを、溺愛してる。とんでもないライバルに思えた。

あなたはときどきぼくのことを夜と呼ぶ。そう、愛猫の名前で呼ぶんだ。もちろんわざとだ。そうするとぼくが嫉妬して、大変気持ちのいいことになるんだそうだ。知ったことか。

その夜も今は姿を消している。散歩にでも行ったかな。愛する人とライバル野郎を残して気ままな散歩に出かけられる、夜はぼくよりはるかに器の大きな猫だ。

夜が人間じゃなくてよかった。

思わずこぼしたぼくの言葉にあなたは吹き出す。うん、とてもかわいい。

夢だとか将来のために生きてないんだ。いま息継ぎのあいだにかわす目配せのために、いまぼくにだけ向けられる笑顔のために、産まれたんだし生きてきたんだ。

「大人が悪いんじゃない。子どもが大人を悪くするんだ」
「責任転嫁やめて」
「たくさん話してくれたし、今日は私がしてあげたい気分かな」
「言質」
「とらなくても、守るよ」

仮想敵ばっかのぼくの人生、すてたもんじゃなかった。