【雑記】池田彩乃さんの詩集を読む

病室で読めないまぶしさならいらない
目をとじたら見えないまぶしさならいらない

きのう夕方にとどいたちいさな詩集『発光』の一節です。

この詩集の“発光者”は池田彩乃さん。

2010年から私家版詩集を制作してこられて、朗読、映像など詩にまつわる制作を続けている方です。(池田さんのサイト

本や詩集は読む時間帯によって印象が変わることが多いので、この詩集も夜と早朝に数回ずつ読み返しました。印象に残った中でも、とくにこれが好きだなあと思いました。

以下、池田さんにお伝えした感想、手を加えるのもなんなので、そのまま引用します。

朝と夜に数回ずつ読みまして(本や詩集って時間帯によって印象変わることありますよね!)印象にのこったものはいくつかありますが、強いて選ぶとすれば「目をとじたら見えないまぶしさならいらない」という一節がとても好きです。

目をとじたら暗闇になっちゃうっていう当たり前のことを、なんとなく「そうだろうな」と思って生活してるんですが、目をとじたら見えないまぶしさならいらないって、そういう言い方していいんだ。そう発言することもできるんだ、詩なら!と思いました。

詩集を手にして実感したこととして「物体であることのたしかさって間違いなくあるな」と思いました。

ちょっと自分の話になりますが、言葉のある場所って割とどこでもいいんじゃないかという考えでした。音だろうが活字だろうが電子だろうが。その人に届いたらあとは消化するのはその人の領域だし、あんまりこだわらなくても?というようなぼんやりした考えだったのですが、「さわれるものであることは安心だな」と。おまもりだってさわれなかったら不安でしょう。そういう感じかなあ。

ここ数日、池田さんとメッセージやり取りさせていただいていました。ふら〜っとインスタ始めて、池田さんの詩をみかけて「お、いいな」と思ってフォローしたら池田さんが存在を知っていてくださって。ここがエメラルドになる前、「オーロラになれなかった僕たちは」というサイト名だったころです。

その時わたしは薄っすらと「もうちょっと広める努力をすべきなんでは?」と思っていたころで、池田さんの詩を読みつつ「朗読会とかされてるんだ、すごいな。私にはできないな」とか思っていたんですが、「書き続けることもそれはそれで良い」(←こんなざっくりした言い方ではないけど)というふうに肯定してもらえて「ああ、そっか」と思いました。

それから、いろいろ詩についてとか、詩を書くことについて、とかやり取りしていました。ここでうまいこと書き出して再現しようかなと思ってもいたんですが、まあべつにいいかなと。

あらためて「書くとは?」「詩とは?」みたいなこと考える機会を持ててよかったなあと思う。やり取りの中で「あ、こんなふうに自分思ってたんだ」と気づいたり、「へえ、こういう考え方もあるんだなあ」と思ったり。

おそらく10年前とか15年前とか、それこそ詩らしきものを書き始めた当時の自分だったら、こういうふうには受け止めていなかったと思います。「いや、私はこうだ。私と他人は混じり合うことはない」といった考えで、相手に対して口にすることはないですが、心の中ではそう思ってたんじゃないかなあと思います。良くも悪くも。そう、悪いだけじゃないと思う。そういう姿勢で詩を書いていたことも。

でも、ああ、こんなふうに考えたり書いたりしていいんだなあって、だいぶまろやかになってきたかなあって、なんとなく思いました。

漠然としすぎてて「なんとなく」とかって言葉多用してしまうの許せ……。

文章なのであとで読み直して書き直すこともできるけど、推敲せずに投稿しようと思っています。

そして、池田さんとのやり取りの中で自分が、自分にとって詩を書くことは草いじりだと言って、自分で言いながら「ああ、そうだったのか」と思いました。

「書こう!」と強い決意をもって紙(画面)に向かうのではなく、イメージとしては朝起きて歯を磨いて外歩いて体のばして「さあ、書くか」書き終えて仕事して昼ごはん食べてぼーっとして「さあ、書くかね」また作業して夕方になってぼーっとして「そうだ、書くか」夜ご飯たべてシャワー浴びてぼーっとして「あ、書こう」みたいな。使命とか作業というよりただの習慣?植えてるものは生き物なので枯れたり荒れたりするんだけど、でもまた土にかえって、その植物がどんな色だったとか葉の形をしていたのかどうか蕾をつけたかどうかとか、細かいとこは忘れちゃうんだけど(覚えていることもある)、私という同じ庭の中でのできごとだから、掘り返した土はもうただの土じゃなくて、いつのまにか枯れて肥料になってたやつとかも宿ってるんだろうなあと。草いじり、庭いじり。そういう安心安全な楽園ですかね。

『おかえり、ぼくの楽園』

↑そのとき書いた小説がこれで、15年前の2人っていうのはあとづけです。

この主人公は、かつて楽園に行けなかった(行かなかった)自分をだましつつ庭いじりをしてるんですが、そこへ、楽園へ行ってた相棒が帰還するというストーリーです。

分析できないけど、なんとなーく、草って、庭って、楽園に通ずるものかなあと思って書きました。楽園って聞いて荒廃した土地を想像する人は少ないでしょう。作品の個性の出し方としてはありなのかもしれないけど、ぱっと聞いた時に。太陽、とか、水、とか、生き物、とか、そういうの想像するでしょう。なんかそういうのに、まっすぐつなげるのも悪くないなあと思ったのです。

話はそれましたが、こんなふうなことを最近思い、手に入れ、与えてもらっていました。

ありがとうございます。

病室で読めないまぶしさならいらない
目をとじたら見えないまぶしさならいらない

噛みつかれることをおそれずそう拒むことが
光源を手繰り寄せる唯一の方法だとぼくは知ってる

さいごの2行勝手に書き加えました。私の読み方はこうかなと。