なつ

【雑記】サイト修正/SHORT 1~20

今日は、SHORTの1〜20のページへリンクを貼りました。このへんは10年以上前の詩です。もう書けないやつばかりだな。今書いているものも未来の私には書けないものになるんだろう。そう思うとなかなか「もう、ここらへんでいいや」と思えない。

7+

No.668

限りないものがぼくを無言で責めてくる。いつか終わってしまうことを。こんなにも脆くできていることを。沈黙の中でも波音は鳴り止まず、敷かれたレールをうまく歩けない。歩幅は人それぞれだからだ。目をそむけたい、でも捨てたくない。幼い夢はすぐには消えない。すこしずつ、腐りながら、見たこともない何かへ形を変えていく。いずれ生まれ変わると信じることができないひとからおとなになっていった。老いることのないこどもを笑っていた。なりたくない、端正なおとなに奪われないようぼくが、砂浜に埋めた美しい詩が、潮とともに引いていく。血や骨や記憶の詰まったからだは浮遊できるほど軽くなく、そらんじた言葉の分解を見届けることができない。いっしょに連れていってとは言わない、ただおしえないで、乞われたとしても何も教えないで。知ってしまったら最後、その名を呼んで目覚めてしまうから、だから名前を教えないで、そうすればぼくは貝殻を耳元において、この世の誰よりも深く眠れるんだから。

5+

No.667

夢の中を月が跳ねる。うたかたの幸福に溺れるぼくのこと、あとは散るだけの花が笑った。この世の大小は奇跡と奇跡で結ばれているの。だけどそうと憶えている人はいくらもいないの。ねえ、目眩がするでしょう。(ああ、してるよ)。箱にとじこめられて運ばれる。外ではときどき雪が降った。隙間からは横着な光が漏れてきた。ぼく、ずっと昔もこの体験をした気がする。それを証明できるもの、何もないけど。でも、よかった。証明できるものがあったら、いつなくしてしまうか、ずっと怖かったろうから。すみれ色やみどりいろが代わる代わるぼくを見る。名前をつけよう。いいや、その前に命を。敏感な目鼻と賢い頭、頼りない心と、最後にあたたかい血を注いだら完成だ。ぼくはあまり乗り気ではないなあ。だけども、まあ行ってみるか。もしかしたらひとつでも何か良いことが待っているかも知れないのだし。長い夢から目を覚ました、ぼくが最初に見たものは泣き疲れたような男の横顔だった。それを優しくなでる女の表情だった。彼らから何か大切なものを受け継いで、ぼくは今ここにいるのに。「にんげんは、自分のことをうまく愛せないようにできてる」。チョークの粉が付着した指が透明な瓶に花をさしていく。「もしうまくできてしまったら、誰もここにいる意味などないだろう」。ぼくは、今、なつかしい男女から受け継いだ何物かに匹敵するものを、この身に注がれた気がした。「だから、きみがこの世から自分を遠ざけようとすることは、不思議でもなんでもない。ただ、きみにだって、誰かが必要であることが分かるだけ」。断ち切られた花の茎が、ぐんぐんと水を吸い上げるような、そんな青空だ。あなたがぼくに向けてた無臭の愛は、強く蹴っても戻ってくる、水に跳ねる丸い月だ。

4+

【雑記】どうしても好きになれないものを好きになろうとすることのデメリット

うさんくさいタイトル。うむ。平成回顧録。私は2年前の春に1つのことを克服しました。私は自分のそれが嫌で嫌で気づかぬうちにものすごい損失を出していた。後から分かったことだが。挑戦できたことも本当はしたかったこともすべて避けていた。そして「これさえなければ私だってできたんだ」と思っていた。ふりかえってみれば時間の無駄だったと思う。あ、あと「これさえなければ」と条件付きの願望って「これ」がなくなっても取り掛からないもなんで先に追記しておこう。

この文章を読んでくれる人の中にも、「自分のここが嫌い」って感じる部分がある人はいると思う。ある時は無理に好きになろうとするかも知れない。だけど好きになれなくて、そんな自分がまた嫌で「だめだ」って思うかも知れない。自分が自分に失望してしまうんだ。

でも、どうしても好きになれないなら好きにならなくていいと思う。好きじゃないものを好きになることって、2つの意味で悪いと私は思っている。

1つ目は、自分の気持ちに嘘をつくことになるから。2つ目は、それを本当の意味で好きになったり、人の役に立つ方法を絶ってしまうことになるから。

2つ目について深掘りしてみよう。「嫌い」という感情のとらえかたが雑なんだ。なぜ嫌いかも分からないものを好きになるってのは不自然な話で、ちぐはぐしている。からまった糸を左右にひっぱって戻そうとしているように。もちろん糸はほどけない。なので、なぜ嫌いかの理由に向き合ったほうがいい。そうしたら、どうしたら好きになれるのか。そもそも好きになったほうがいいのか、とか見えてくるはず。

なんだかすでにうまく言えないんだけど、自分の嫌いなとこって、好きなところより個性になりうると思う。個性になるってことは同じものを持っている誰かを励ますことができたり、アドバイスができたりするってことだ。

そして、あなたが自分の「嫌いなところ」から目をそらしたら(「嫌いなところを無理に好きになろうとすることも一種の逃避だと思う)、あなたによって救われたであろう人も救えないんだと思う。

私は自分が克服したことについて今も悩む人がいたら、その人がどういうふうに解決の手段を探して、どう絶望するかまでが分かる。どの本を読んで、どのサイトを見て情報を得て、どこでつまづくかがほぼ分かる。

なぜ分かるかというと、私はそれをずっと嫌いだったからだ。もし「好きになろう」の試みがうまくっていって(うまくいってしまって)、嫌いであることをないがしろにしてしまったら、そんなことはわからないだろうし今この文章を書いてもいないだろう。

自分にある「これさえなければ」と思う部分や状態を、もし好きになりたければ、唯一の方法は、それを乗り越えることだと思う。

あなたがそれを乗り越えられたら、同じことで悩んでいる誰かを支えたり救ったりができる。そのためには単に「好きになろう」で蓋をするんじゃなくて、嫌いという感情に向き合って納得いくまでどうにかしないといけない。だいぶ抽象的な言い方をしてしまっているが、病気なら治す。性格なら改善する。

嫌いなものを好きだ好きだと思い込むことは逃避で、その嘘にたぶん誰も耐えられないから。自分が自分につく嘘に耐えぬけるほど人はあまり丈夫ではない気がするから。他人への嘘なら大丈夫だと思うんだけどね。でも他人への嘘も結局自分への嘘だから嘘はむずかしいよね、嘘は。

それよりは沈黙が楽ですよね。私だって幼稚園のころからたくさん黙ってることある。言わないだけ。嘘じゃない。嘘つくくらいなら黙ったほうが得策ですよ。なんのはなしだっけ。まあいいか、おわり。

2+

【雑記】花とnot found

古いリンク集をみつけて嬉々としてたどってみればnot foundの嵐。核戦争後の朽ちた世界で自分以外の生命体をさがす不老不死の生き物のように悲しい。アドレス(ドメイン)が別のユーザーに使われていてまったく違うサイトにリンクするのも悲しい。そういや昔見た映画で捨て犬が主人の少年をさがして危険な畑や犬同士の闘争(そして恋愛さえも)を振り切ってかつての住まいに帰還するっていうのを見たことがある。しかし懐かしい我が家に還ったわんこを待ち受けていたのはべつの家族だった……。と見せかけて主人の少年が「おまえ!」と見つけて駆け寄るという今思えば実にありきたりなお涙頂戴あっぱれ和製映画。だが嫌いではないストーリーだったんだが、あの犬の心境。ただし再会はない。ネットで好きなもの見つけてもそれはいつか消えるんだなあ。消えないものなんてないんだなあ。映画といえば今ずっと見てる海外ドラマあるんだが、運転手が目を離す時間が長すぎるのすごい気になる。助手席の主人公と運転手の相棒。深刻な会話をしているのは分かるんだが、相棒が主人公の顔をまじまじと眺める時間が長すぎて。前見ろ前!て思うんだが、これって文化と交通量の違いなのかな。そもそも会話中に人の顔そこまでまじまじ眺めなくてもいいんじゃないか?と私は思うし、いや待てよこれって道幅とか道の奥行き(見通しの良さ)が日本、ていうか私の知ってる車道とは格段に違うのでは?とも思う。ただ、でもやっぱり前方不注意はいけないだろう。2秒も3秒も横顔見つめるので毎回あわあわわわわやっべってなる。そうでもないんだろうか。実際そんなあぶないことでもないんだろうか。とても集中して見るのだが運転シーンだけいつも違和感があって「ま、しょせんフィクションだからなあ」って現実に引き戻される。そういう、ちょっとしたことで魔法はとけてしまうので制作サイドは気をつけて欲しい。それ以外はとても良い。何様か。

4+

【雑記】春に傷つくことが多いひとへ

春。桜という花は文句なしにきれいだし、あちこちで新しいこと・ものが耳目に触れるので、なんだか自分も生まれ変わったような気分になりますね。そういえば朝刊に「私は小学校時代からずっと学校という場所が好き。だから教師になった」という投書がありました。読んでいてとても清々しく、学校教育捨てたもんじゃない、ってそんな希望を持てるような投書ですね。豆を投入しすぎたコーヒーの苦味も忘れてしまいましたよ。ふふ。

とでも書くと思ったか、ばかめ!

ぞっとするぞ。学校に良い思い出しかない教師に人の痛みなんか分かるか。いじめに気づかない、気づいても見ないふりをする。仮に優しさから相談に乗ったとしても的外れのアドバイスあるいは余計なおせっかいしか焼けなくて(例:学級会を開きみんなでいじめの原因について話し合うなどの愚行)、生徒を失望させるんでは。失望させたで済めばいいが、最悪それが死に追いやるのでは。ひとはつらいこと自体で死ぬことってあんまりなくて、つらいことがあった時に自分を助けてくれそうなひとが見当たらないという事実に直面したことによる絶望で死ぬから。

かと言って前向きに教師になる人が悪いわけじゃ全然ない。むしろ学校という場にネガティブな感情持ってる人よりは理想を体現できていいのかも。(誰にとっての「理想」だ?)

そもそも学校に嫌な思い出がある人は学校に就職しないだろうから(教師にはならないだろうから)結局学校って場所はいつまで経っても地獄の人には地獄なんだろう。

しかし、そんな学校という地獄が必ずしも悪い場所かと言うと反面教師的な意味でのメリットや収穫はめちゃくちゃあると思う。「あ、この世界むり」って思うからこそ外に目を向けることができるひともいて、「ここは私の居場所じゃない」って割り切ることができれば他のひとにない考え方や行動ができるから社会に出たら(出る前であっても)レアな存在になれる。

なので、学校や会社になじめないくらいで自分がどこにもなじめないと考えるのははやすぎるし、むしろ「あ、私にここは合わなかった。じゃ、また別の場所にしっくりくる場所があるんだろうなあ」でいいのではないですか。誰も教えないけど、学校も会社もふつうに不自然な場所だからね。たとえば「毎朝太陽がのぼる時刻になったらベランダに出て裸で5分逆立ちしましょう!こうすることによりあなたについている邪念を振り払うことができますし、その日1日は5体の守護霊があなたを守ってくれます」的なこと言われたら「こわっ」て思う。状況は似てる気がするよ。

逆なんだよ。

そもそもあなたは尊いのだから、世間?知ったことか!社会が俺様に合わせろや。くらいでいいと思う。

ただ表面上はしっぽりと、上っ面だけでも順応しているかのように振る舞えばいいと思う。絶対できるから。

今の季節はすがすがしい気分になれることが多い半面、ふっと不安や残酷な気配を感じて、おそらく同じように感じている誰かへ向けてこういうことを言いたくなるんだ。

新しいこと。成功。誰かの笑顔。幸せ。これらは素晴らしくいいものだが、誰かにとっては残酷なんだ。

優しい人が、その優しさを恨まず呪わず生きていけたらいいと思う。思うじゃなくて願っている。祈っている。人って感情が外に向かうか内に向かうかの違いがあると思う。極端な例が「殺そう」になるか「死のう」になるか。「死のう」の人は少なくとも今あなたが抱えている理由で死ぬことはないんだって分かってほしいし、「死のう」で死ぬ人が増えた国に生き残っている人には少しでも疑問を覚えて欲しい。あれ、「死のう」派増えてね?って。

どっちがどう、という分け方をすべきではないとわかっている。だけど、今たまたまあなたのいる場所だけが一方的にあなたに下した評価で自分を見てほしくないなと思う。

つらいなら逃げるんだ。
無責任な人は立ち向かえって言う。
シンプルに考えるんだ。
仮に人の生きる場所がほんとに1箇所しかないなら立ち向かうべきだと思うよ。しかし、そうではないんだ。今は当たり前にインターネットがある。小学生だって使えるだろ?情報を集めて、自分から発信するんだ。ここだけじゃないって分かるから。

そもそも「だけ」ってことはないよ。もう、そんな選択肢が僅少な状況ってそうそうはないだよ。自分「だけ」がこんな目に、ここ「だけ」でしか生きていけない、あのひと「だけ」が私を理解してくれる。とか、そういう唯一無二なものってそうそうない。そうだなー、「にも」かな。自分以外「にも」こんな思いを抱えている人がいるかも知れない、ここ以外「にも」居場所があるかも知れない、あのひと以外「にも」私を理解してくれる人がいるかも知れない。うん、そう、「にも」マインドで。

自分についた傷を消そう消そうとしてよけいに自分が汚くなってしまったと感じる、ずっとその悪循環だとしても。何度も「今度こそは」「次こそは」を繰り返して、繰り返しすぎて自分含めて何も信じられなくなったとしても。意外とそんなことないから。

好きなものだけ見て、食べて、集めて、たくさん眠るといいと思うよ。とりあえずは。これまでの自分に逆張りするんだ。思いつめすぎる人は、ちょっと心配になるくらいいい加減になってみる。楽観主義すぎて失敗が多い人は、もう少し予測を立てて動く。「もしもうまくいかなかったら?」と別ルートを予測してみる。

私はというと、とりあえず食べたいもの食べてる。最近うまいのがニンニクの醤油漬けとラッキョウですかね!

4+

No.666

新芽を持った茎が水を吸い上げる
世間が平和でなくても関係なく
同様にぼくがあの夜出歩いたことは
その後の世間になんら影響しなかった

空を、おおきな尾鰭が震わせていた
その波紋で星座は組み替えられ
きらめいた音が家々の屋根に降っていた
古い毛布にくるまり耳をすますきみにも

誰も言わないからぼくが言うよ
なにも選ばないことも、
ひとつを選ぶように勇気がいった
誰かを愛するってどんな気持ちだろう

愛はきっととても良いことだろう
ぼくだけじゃなく誰だって思うさ
一瞬泣き出すのかと思った
花が咲いたような笑顔を向けられたら

ひるがえるレースのカーテン
木の床に落っこちた天使の輪っか
陰が影に溶けていく
火が陽の中へ溶けていく

どんな気持ちだろう
誰かを愛するって
どんな気持ちだろう
誰かを幸せにするのって

期待でもなく呪いでもない
ただ答えを待つだけの無垢な質問
まっすぐに見ることができない
それをぼくに訊ねる、なんて悪党だ

二人を匿名にする夜と尾鰭がとおざかる
震えているぼくたちの心臓だけ残して
今日のこと思い出すこともないくせに
ぼくにだけ名乗らせる、きみはひどい生き物だ

3+

【雑記】サイト修正中

年号変わるのでサイトのデザイン変えようと思っていたらめちゃくちゃになったので修正中です。サーバー変えようかなあ。思い立ったときにしないとやんないもんなあ。ずっとロリポップ使っているが変えてみようかな。今のドメインは2015年12に取得しているからかれこれ4年目か。その前は別ドメインだったので結局ロリポップをゆうに10年以上、いや20年以上かも知れない。とにかく惰性でロリポップ使っていたわけだがもういいんじゃなかろうか。そしてこの膨大な量のhtmlファイルをどうしたらいいのか。とりあえず公開状態にしておきたい。ファイル数423。詩の数は12ダースまとめて70ファイルくらいあるから、840編くらいか。WordPressいまno.665だから足して1,505。これでも半分くらい削ったからもともと3,000くらいあったのかな?今は2〜3日に1つのペースだから、約6年半後に1万達成している計算か……。1万……。まあ数はどうでもいいし未来のことは分からないのだけど引っ越しせねばならない。WordPressの引っ越ししたことないな……調べるか。めんどk……いや、やろう。

3+

No.665

ガラスの廊下を歩いてる
透き通っているのに何も見えない
鳥が鳴いているのが聞こえる
産まれなかった赤ん坊かも

ぼくは自分を疑うことで
世界と和解をしようとした
でもその世界もぼくの創作で
ぼく以外なんてどこにもいない

張り出し窓で立ち止まる
目を凝らせば海が見えるよう
星の散る夜空が見えるよう
錯覚にしか描けない正常を求めて

交信のやり方が分からない
探そうともしない
ぼくはたぶん変化してる
比較する何もない

立ち止まった拍子に目の縁からこぼれるもの
産まれた時にこの体をまとっていた血の雫
汚れた手を浸した雪解け水
不完全でも物怖じせず歩き出せたあの頃

少しでもあたかかい思い出があって
救ってくれる気がして集めてた頃があって
今はそれが締め付けている
首筋や手首を締め付けている

戻れないなら記憶なんて要らない
捨てる自由はあったけどできなかった
なくしたふりした涙があふれて
初めて突き当たりにたどり着いた

再生は繰り返される
突き当たりに来ないと思い出せないんだ
でも今日は少し特別だから
突き当たりの先へ行ってみようかな

高いビルの屋上かも知れない
線路にかかった橋かも知れない
そんなの空想に過ぎなかった
覚醒したぼくを見て、あなたが甘く苦笑している

3+