【雑記】食ってはないけど生きている、詩で。

気に入ってもらえる作品の一例

・魂を込めなかったもの
「込めてやろう!」って気負いがないぶん素が出やすいというか変なブレーキかからないんだと思う。

・後から読み返すと恥ずかしくなるやつ
・「明日の朝に消しとこう」って思う類
本当のことや本当に書きたいことは大抵恥ずかしい。

よっしゃー、どやっ。で書き終える時と、んん?なんか出来たぞ?どうだ、読んでみる?の時と半々くらい。
着地点は自分でも不明のうちに仕上がることも結構。
頭の中で完成する前に書き出す→自分で「どうする?」ってやりながら書く→これこれっていうのが出てくる→気分が良い。ってルートは多いかも。

自分なりの「こうやって詩を書いてきた」論を作文するのも面白いかも。

自分では詩は感覚だろうと思ってたけどたぶん法則とか無意識に強いてるルールとかあって、それを感覚じゃない部分で整理すると面白いのかも。

私は書くことで救われていた時期があるので(今もか)、もしそれを見て誰かが「ふーん」って思って興味持ってくれるといい事だと思うし、いちばん下準備要らないのが詩や作文じゃないかなと思う。さらに言えば大抵のことって詩をベースにしてるんじゃないかな。音楽も絵も。イラストや歌や写真に詩は劣ると思ってた頃があったけど、今はそう思う。すべてのベースだって。
まあ、視覚的に訴えるものが強いのは分かるしできるだけ多くの感覚器に訴えるものは強いよ。映画とかコンサートとかね。
でも、詩は視覚部分、まあ、あとは触覚(詩集であれば紙の手触りとか)がせいぜい。
だけど、そのぶん読み手の想像力に委ねている。それって感覚器に頼らないぶん無限で無敵とも言える。

これまでの私の反省点としては「伝える努力」はあまりしてこなかったと思う。書いたから読んでね、ってスタンスでまあそれはそれで自分なりのやり方って言ったらそうなんだけど、他に何か新しい方法あるんじゃないかなと色々考えている。

私はこれで食ってはいないけど生きてるよということが誰かに伝わることがあれば、それは自分にとっても良いと思う。

漠然としたままとりあえず考えはメモ。

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