【小説】続・野良猫の詩

拍手ボタンからコメントをくださったハルさんへ。コメント、ありがとうございます。読んでいたらむくむく湧いてきたので7/28投稿分『野良猫の詩』の後日談みたいな続きを書きました。想定外に怒涛の愛情に押され気味な元野良ちゃん。このままいくとヤンデレ路線かな…。

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存外だな。
もっと戸惑いながら落ちてくるんだと思ったら急転直下かよ。よほど色々溜まってたんだろう。これまでの生活でできなかったことや満たされなかったところを一気になんとかしようとしてがっついてくるからペースを乱される。せわしない。落ち着けったら。毎朝ベッドの中で寝ぼけながら「かわいい」なんて言ってこなくていいから、ごはん少々とミルク適量はこっちより早起きして準備しとくべき。本日の毛並みがどうとか体調が変わりないかとか心配してくれるのは当たり前だとしても、そう頻繁でなくていい。気が滅入るくらいにしつこいぜ。いちいち目線を合わせてからする抱擁も、文字通り猫なで声で優しくされるのも求めていない。でも、まあ、顎の下をちょいちょい撫でられるのは悪くないかな。と言っても、おおいに修行不足だけど?不満のはけ口として新しい革靴に粗相をしてみたり、イタリアのなんとかってブランドのスーツに爪を立ててみたりもしたけどちっとも応えちゃいない。ばかでかいソファはふわふわ足元がおぼつかなくって気味が悪いし毛足の長いカーペットは爪に悪い。家に仕事を持ち帰って来ようものなら八つ裂きにする所存。バカか?ぼくが構って欲しい時におまえの手が空いていなかったらこっちが我慢しなくちゃいけないとでも言うのか?ふざけるのも大概にしろ。待てるわけないだろ。これだから甘ちゃんは。

「待ってて。もう少しで終わるから」。
おまえはそう言ってキーボードをタタタン、タタタンしている。
待ってて、だと。それじゃまるでほくが待ち焦がれているようではないか。
もう少しで終わるから、だと。それじゃまるでぼくがあと数分も我慢のできないワガママ放題の元野良みたいじゃないか。
デスクに飛び上がって画面の前に立ちはだかり、しっぽの一振りでコップを倒してやった。
「ああ、もう、仕方がないな。分かった、こんなことはすぐ止めるよ」。
仕方がない、だと。
当然だ。
「お腹が空いてイライラしてるのかな?」。
ハズレだ、バーカ。
「ミルク飲み足りない?」。
ざけんな、当てずっぽうに言いやがって。
そんなに毎時間飲食してたらどっかの金持ちの家の肥満猫みたいになっちまうだろーが。
発想の貧相なやつめ。
「なでなでして欲しいの?」。
なでなで?
ふざっけんなよ。
そんな言葉で表現するんじゃねー!
ぼくがまるでまだ一人前じゃないみたいじゃないか!
「いてっ、いてて、噛むなって。そうだ、写真、写真撮ろう」。
写真。
おまえは最近よくぼくの写真を撮るよな。
そしてそれをどこかに投稿している様子。
たくさんの反応があって、返信するのに忙しい時がある。
不思議だ。
おまえが画面を見てニタニタしていると、お腹の中がモヤっとする。毛玉を飲み込んじまったみたいに。おまえのニタニタ顔が害悪なんだ。誰に向かってニタニタしてんだか。本当にだらしがない。
「さあ、撮るよ。こっち向いて」。
だから、背中を向けた。
そう簡単におまえの手が届かない場所に行って、どこまでも逃げてやる。
案の定追いかけてきたおまえがテーブルの角で足の指をぶつける。ざまをみろ。ぼくを追い詰めようとするからだ。人間風情が。へっ。

絆創膏の箱の裏側にびっしり書かれた文字、商品説明だとか配合成分だとか。読むとはなしに目をやりながら、こんなことって何年ぶりだろうと思う。
小さい頃はよく怪我していたと思う。擦り傷、切り傷、いつの間にか虫刺されが腫れていたり。さいわい大きな怪我はしたことがないけれど、誰かが貼ってくれていたんだな。
子供はそのうちうまく歩けるようになって、危険を察知できるようになった頃には、取り巻きができていた。
おれは無傷でなお丁寧に扱われて、よそ見をしようにも誰かが横から視界に入ってきた。
そして吐き出す。
甘い言葉、優しい言葉、賞賛の言葉、羨望の言葉。
あなたの未来に期待します、あなたは間違っていません、あなたは才能に溢れている、あなたはとても美しい、あなたがいるだけで場が華やかになります、あなたのおかげです、あなたに感謝します。
たくさんの、「あなた」。
おれはまだ何もしていないのに、何ももたらしていないのに。
いったい彼らは「誰に」向かって話をしているんだ?
うわべは何とか取り繕っていたけど、いつだってそんな思いが拭えなかった。
だから、初めてかも知れない。
あるいは、すごく久しぶりな気分だ。
きみはおれにとって面倒な存在だ。
悪戯ばかりで言うことを聞かない。邪魔で、迷惑で、騒々しい。
だけどそれらすべて差し引いてなお余りある、「あなた」じゃなく、この「おれ」のことを見ていることが分かるから、可愛い。
何度も目が合う。滑るような視線でもない、頭の上を通り越えたり、体を貫くような視線ではない。ただの「おれ」しか知らなくて、それを見る。それが、とても可愛い。
今の部下の一人からは野良猫なんて拾うもんじゃないと忠言を受けたけど、おれが拾ったのは野良猫は野良猫でも、この猫。今ここでおれを困らせる一匹の命は、この猫だけ。
外では冗談も言えないおれが、家ではこんなにだらしなく笑っているのが見つかったら。どんな表情をされるんだろうな。それを想像するだけで楽しくなった。
きみがずっと拾われない野良猫で良かった。汚れていて、痩せっぽちで、甘え方を知らない、道行く人から目をそむけられるような存在で、本当に良かった。ありがとう。これからも大切にするよ。