no.202

敵だ敵だみんな死ね死ね地球割れちゃえって時とみんなすきすき大好きいとしい尊いあいしてる知らない人も嫌いな人もみんな幸せになって世界平和になってって時が波になって訪れるけど大半はそのどちらでもないニュートラルな状態。そしてどんなタイミングで出会ったひとも予想よりはるかに優しいこともある。し、そうでないこともある。当然に。約束なんかするから、信じたりなんかするから、裏切られるんだ。って言い分はまあそうだなと思うし言い方は違うかもしれないけど突き詰めて言えばそっちを支持するほうの人種かもしれないけど声を大にして否定したい日もある。そんな悲しいこと言うんじゃねーよと反発したい日もある。かと思えばすべてどうでも良くなってどこまでも続く線路や水平線をぼーっと眺めているだけの一日だとかあるいは積極的に俗世に関わっていきたくて本を読んだりバスに乗ったり音楽聴いたり飛行機を降りたり映画を見たりしている。やがてそんな日々にも嫌気がさしたらまたぼーっとして昔の出来事を思い出している。自己啓発に目覚める時期と芸術かぶれしたいだけの時期と可愛がりたい時期と可愛がられたい時期と一般的になりたい日とまるでそうじゃない日と、同一人物の同じストーリーなのかな?寝て起きてまた寝るから一本の人生は何回もまな板の上でトントン切り刻まれてばらばらになって関連性とか一貫性とか望めないのじゃないかな。だから自分以外の相手や第三者を困惑させないために仮面をかぶったり平然としたり突如として突拍子も無いことを口走ったりする。自分を捨てない人の執念が恐ろしくてそいつ化け物と思うからどっか行け。行かないならこっちがどっか行く。そして菜の花をたどっててくてくどこまでも行くけど全然悲しくならないから「あれ?だいじょぶか?」って逆に自分のこと心配し始めて、だったら最初からこんなことするなよなーったくもー。て言われても仕方ないけど首をかしげる。でもやっぱり自分が平気なら平気だから誰かのためや、こうであるべき、といった自意識の皮を被った常識などのために何も曲げたくない。とは言え生きづらいとまで追い詰められるのならば機械になって乗り越えるのもありだよ。曲げられない自分のためにわざわざツッコミどころ盛りだくさんな人間になること、ないない。みんな平和に生きて死ねって思うけどそんなこと言ってるうちはまだ結構行ける感じのとき。鉄塔の上部から舞い降りたものがあって、そこでようやく私は発地点付近をうろうろしていた黒点があの同級生であったと知るんだ。