no.183

ひとは目に見えないものを馬鹿にすることがある。目に見えるものを過信することがある。目に見えないから「無い」と思うことがある。「無い」ものを「ある」というひとは異端に思われて恐ろしいし不愉快だから排除したりする。目に見えるものに価値を与えないひとはそうでないひとにとって愚かしく見える。そうしながらひとは目に見えない、無数の、名前もないものによって生かされたり死なされたりする。説明のできないものはあってはいけないとする。ひとは確かなことの証明に実存を挙げる。証明とは他人へ対する行為であるから、自分に対しては本来必要でないにも関わらず、それがなければ自分さえ納得させられないひとがいる。自分を他者化して判定を待つみたいに。ひとはいつも許されたい。認められたい。排斥されたくない。誰かといたい。ひとりでいたくない。惨めな思いをしたくない。できないことをできるひとを認められない。ひとに備わる条件すべてに縛られて何か呪っていないと呼吸ができない。きみはぼくのこころを馬鹿にする。ぼくだっていつか誰かの何かを貶したのかもしれない。だけどそれを認めるひとがいたとしたらそのひとは貶されっぱなしにはならない。ぼくの埋められない溝を、きみの認められないぼくを、拾って美しいと呼ぶひとだってあるのだ。ひとはばらばらになれない。願いながらつながっていく。みんな馬鹿なのかなって思うよ。きっとみんな馬鹿なんだ。何も知らないくせに、さあ。