「虫だって生きてるのに殺すなんてかわいそう」
これには強く反対である。まったく相入れない。その思考の方向性まじ無理である。
生きてたら人の家に土足で入ってきて賃借人の心の臓を止めるくらい驚かせても良いとでもいうのか?違うだろう?じゃあなんだ、貴様の部屋にさ、見知らぬ、そして言葉の通じない見た目ギトギトのおじさん(なぜかおじさん設定)が部屋にいたらどうするか?
即殺害以外に道は無いだろう。
話し合う。共存する。逃がす。
ちっ、ばかが!どいつもこいつも生温い理想論ばかり言いやがって種単体で見たらこっちが圧倒的に弱いのだから本気でレジスタンスしろよ生きてるからかわいそうじゃなくて生きてるから怖いんだろうがクソが。
などと何に対しての台詞が分からない言葉をぼやきつつチキンを極めた私はお掃除に余念が無い。キュッキュッ。
今年は素晴らしいことにまだ1匹も出ていないのだ。笑顔である。喜ばしいことであるが当然である。知識と行動で圧倒してるからな。笑顔である!
だが、一抹の不安もある。それは「ここまでやってそれでももし出くわしたとしたらそいつは新種のハイブリッドタイプかも知れず我は恐怖で卒倒するかもしれぬ」というものである。
「ここまで」!「したのに」!「それでも」!
三重苦。
無念。自責。そして恐怖。
あまりの恐怖に怯えた私はついに彼らの情報を調べ始めた。なんでも祖先は3億年以上前から存在したらしく、しかもほとんど今の形と変わらないそうだつまり!ほぼ完成形として誕生したということだ無理、こいつかてない!
勝てないほど強い相手に「かわいそう」は無いから、強い相手には全力で立ち向かえそれしか生きる道はない。しかしこの感覚ではあまりにも無力あまりにも非力。慣れねばなるまい。なるほどそうとも言え、私は彼らの画像を目にすることで適応を試み…おえっ…ものの数秒で断念した。
なんせ私は幼少期から液晶画面ばかりと交流していた割に視力がいい!眼科医が「ほぅ」となる系!どゆこと!ただ無力!見えるだけ・気づくだけ!それなのに戦闘能力は極めて低いというあれ!
…はっ、そうだ。擬人化してBLものにしたら克服とまではいかないにしても、えー、なんだ、メンタル的にラクになれるのでは?はは、まさかそんなもの存在するわけが…したのである。
そしてこの流れ数年前にもやったんだなーというのを、見覚えのある表紙への既視感から感じ取る。
わたしはずっと同じ人間であるのだ。
んー、んー?かわいいかなー…?
かわいいはず…
いけるか…?
いや、無理である。
擬人化によっても拭いされない。
つまり人類には身の回りを清潔に保ち、万一のための手榴弾を握りながら生活する以外に打つ手がないということである。
そして悲しいお知らせがあり、ここまで意識してしまった以上、実物を見たときにわたしの驚嘆と恐怖は最高潮に達することが予見される。
デッドオアライブ…人事を尽くして天命を待つ。なすすべはないのでコーヒーを飲み仕事するとする。