七月終わりの詩をいま書いている。
五日ごとに一編を予約投稿しているからだ。詩の中ではあさってから八月で、その頃には環境も心境も変わっていそうである。数年前を思い出して欲しい。変わっていないところの中にもだいぶ変わっているところが見つかるだろう。
あのひとは詩を書くことを忘れた。だけどあのひとの生活の中に詩がなくなることはないと思う。一度触れたものを捨てることはないと思う。捨てたと思うのは勝手だが…。
紫陽花を部屋に飾る。とてもお得な花だと思う。一輪あるだけで花束みたいになっているのがすごくいい。遠くから見るとまるっこく楽しめ、近づいてみるとたくさん小さなものがあって可愛い。地球みたいである。遠くて丸い、近くてたくさん。
死ぬことを知らない犬の眠りを見る。地面を打つ雨が跳ね返ってその額を濡らしている。
痛々しいものは自分に似ていると思う。忘れるために学ぶことはいいことだ、目をつぶるよりも。
目をつぶることに期待しすぎである。暗闇に希望を持ちすぎである。それは何も消さないし隠さない。かえって形を教え、正体を明るく照らす。
ひとに生まれたらひととして生活をしないといけない。草にも猫にもなれない。