【雑記】さしのべる

あまり人と話さない生活をしてて郵便局で局員さんに雑談ふられたときにカオナシくらいの対応しかできなかったので「あかんやつ」と思いコミュニケーションが活発な場に出かけるもすべてが騒音にしかならずまた普段の生活に戻る。ちゃんといちばんいいとこにいたんだと知るためにも動いてみるのは大事である。ぼーっとしてても意外と他人が話しかけてくれてそのたびにカオナシくらいしか反応できなくて申し訳ないと思いながら「大人ってすごい、見ず知らずの人に雑談ふれるのが大人なんだ、おとなってすごい!」となるなど。横断歩道で信号変わるの待ってたら女性がしきりに話しかけてくるので「やばい勧誘」と思ってエア耳栓してたら虹が出ているのを教えてくれていたのだった。それだけなのだった。その虹はすごく綺麗だった。くそ、私め!ばかばか!そのほかにも毎朝のウォーキングですれ違う人や、エレベーターで乗り合わせた人や、そのへんのひとが割とみんなカオナシに普通に接してくれるので浄化されていくような、恐るるに足らないと思えてくるような、ったく自分め、いつまで気持ちが十四歳なんだよ。しかし先日、十四で起業した人に会う機会がありコミュ力の高さにびびる。自分が十四の時など液晶画面に食い入りながら死について考えていて人はみんな信用できず外は恐ろしい仮面舞踏会で自分に生きる価値はなくそもそも価値というものはなく価値がどうとか考える時点でうわーんとなるので、十四でほがらかな人格になるということは到底理解できない。矛盾甚だしい。これは、あれか、月並みな言い方になってしまうが、多様な生き方があっていいんだと、それでも許されると、稼げて、生きていけて、仲間を見つけられると、分かってきたからだね、個人も社会も。しかしそうなるとまたべつの懸念があってだな、好きなことや生きがいを持てないやつはつらいと思うんだ。キラキラした人が、夢中な人が台頭して存在感を増してくるので本気で好きなものがないと辛くなるかもしれない、そんな時代が来るのでは。来てるのでは。でも大丈夫だ!私の書くものを好きになるといい。10月に入ったのでマンスリーエメラルドvol.2の製作に取り掛かるんだ。完成したらここで告知するので近所のコンビニへ行きプリントアウトすればいいんだ。そうすると私が嬉しいのできみは善行を積めるということだ、いいね!話が逸れたことに気づいたきみは大丈夫、だまされず生きていける。しかし時にはあえてだまされてみることも大切である。