【雑記】みんなそうだよ

誰かのために書くということ。

基本は「好きに書けばいい」だと思う。自分の好きなことを好きなように。それが第一だけど、まったく誰にも読まれなくては寂しいとも思う。そうなると自分以外の視点も入ってくる。こう書けば楽しんでもらえるだろう、こう書けばいいねをたくさんもらえるだろう。あとはこの比率の話になってくると思う。Twitterだと他人視点がメインになると思う。承認されることに重きをおくので、承認されることがそもそも自分の書きたいことだったと錯覚することもあるだろう。ではどこまでもストイックに自分の「書きたい」だけを、追求できるのかというと、そもそも「書きたい」というのは「表したい」ということで、「表したい」自体が「伝えたい」ではないだろうか。「伝えたい」は相手ありきで、少なくとも自分自身ではない。「伝えたい」をさらに言い換えると「伝わってほしい」で、もう少し無理やり言い換えていくと「わかってほしい」「共感してほしい」「認めてほしい」とかになって、最後は「おねがいだ僕のことを知ってくれ」になるから、書きたいという思いが、書くという行為が、孤独でストイックなものだとは思えなくなってきて、守るもののために歩みを止めたり、好きなもののために身動き取れないふりしたりしなくていいと思う。ひとの命は夏休みのように短い。どうしたって誰かのために書いている自分を否定しなくても大丈夫と思う。