no.143

きみが血を流すのは形を見たいからなのかもしれない。外に取り出してたしかめたい、たしかめてほしい。って、無名のエビデンス。でもそこにある。って、証明。名前だけじゃ足りないんだ。ぼくが鉛筆を動かすあいだ、きみはカッターをさわっている。なにか新しいことに挑むのではなくて。方法をみつけたんだ。怖いことではない。屋上から飛び降りるとはわけが違う。ただかなしいだけのこと。伝わらないものを伝えることは、こんなにも切実で稚拙なんだと教えてくれる。マフラーを忘れてしまった夜を思います。去った電車はもうちっちゃくて。好きだよって簡単に言えない。嘘をつかないよう生きようとすれば窮屈だ。溶け合うのがいちばん手っ取り早いんだろう。残りの夏が一縷の光になったとして、それさえきみの心臓を貫かず歳月とともに流れてしまうこと。その事実だけでも酷薄だとわかるのに。こんな世界のせいにして。通じないままでも手は繋げる。赤い蜜だらけのこの部屋で。いま何も愛していない。それだけで安心してこんなにも柔らかくきみを抱けるよ。言葉はからっぽになっていく。それを待っていたみたいに。お互いの熱が交流を始める。どこをとっても縛られないままで。いま何も愛していない。いま何も、愛していない。こんな自由のなかできみに触れていること。そして触れられていること。奇跡じゃないなら呼びようがない行為。ほどけた文字が血だまりに降る。視界の端でそれは灰か花びらになる。きらいじゃないよ、せめてなにか言うんなら。