【雑記】魔法が使えたら

だらだら書いただけ。

えすえぬえすなどのアカウントをつくっても話したかった人と話せたらピャッと削除するんで自身の記憶力に頼る話となるが、とある作家さんのブログに「AとBの話ちょう良かった。彼らが結ばれないお話もそれはそれで見てみたかった」という旨の感想を書いたんである。BL。

とてもざっくり話すと、AがBのこと好きすぎて途中やばい奴になりながら(だがそこが面白い)、山あり谷あり最終的には両思いになって温泉宿で心も下半身もほっこりあったまるってストーリーなんですが、これほんとに両思いになったから良いものの、アナザーストーリーとして恋が叶わなかった場合も読みたいなあと心底思ったんである。

だいたいこれは私の好みによるんだが、片思い中の暴走具合あるいは両片思いのもどかしさみたいなあたりが一番美味しくいただけるので好きだが、ちょっと前置き長過ぎるので戻すと、そしたら作家さんが「彼らは幸せになるために私に降ってきた」みたいな返信くれて、へえーっと思ったな。

登場人物っていくら勝手に動き出すことがあると言ってもやはり自分の手のひらで動かしてる感覚も抜け切らないものである。それを、幸せになるために来たと言うのか。そのような思考回路はなかなか持ち合わせてなかったためちょっと取り入れてみようと思った。そりゃ幸せになるわけだ。そんな人のところへ降ったのならな。

一方で、今日たまたまたどり着いて読んでたブログの作者さんがめちゃくちゃ面白くて文章に勢いやら情熱があるので(書評サイト)、「へへ。おもろ」と思ってへらへら読んでたのだが、プライベートでは非常に生きづらい思いをなさっていると知る。

神よ、なぜだ。人をたくさん楽しませたり感動させた人は無条件で天国に近づいて欲しい(死を早めろという意味ではない、もちろん)し、そうしたら私もその人もウィンウィンなのに世間というものが立ちはだかる。

世間、それは千と千尋に出てくる坊のように気まぐれで「これはいらない」と言う。「こっちは認めてあげる、そっちは認めてあげない」と言う。その思惑も結局のところひとりひとりの思惑の集合体なのだからいかにも平等、公正かに思われるが、「なんで」と思うようなジャッジが下されてしまうこともある。

この人が生きやすいよう計らってくれないか?神よ。と、もはや何者でもないくせに口利きを試みる。当然スルー。

かと言って私も大富豪ではないためただエールを送ることしかできずつらい。エールがいちばんのモチベーションだよと言うのはまだ平気な奴の言うことで自殺に失敗して生きてることをボーナスステージとか言ってる人にはうまく届かないような気もする。いや実際嬉しい気持ちは抱いてくれるだろうが、「だからなんだ」とも思う。自分でも。

物質。金。否定できないほど、やはり強いよ。確かだよ。私は私を楽しませてくれた人や、報われることのない人や、追い詰められて猫を噛んでしまった鼠みたいな人々みんなが本当に穏やかに、能うならば幸せになってほしいと思っている。

権利とか義務と言った言葉ではとうてい語りつくせない、尊さがそこにあるので。人の魂の重さは誰しも同じであるように思う。なんだ私は急に信心深いような発言をするなどして。だが本当に、良きものをこの世に表す人は丁重に加護されるべき。

とは言え丁重に加護されてないがゆえのその人だとしたら結局お神の采配かよ〜となることしきり。頼むからみんな幸せになるんだ。