No.629

忘れないように何度も染み込ませた。嫌になったくらいで離ればなれにならないように。ぼくから剥がれ落ちたものがぼくの知らない場所でぼく以外に踏みにじられても絶対に朽ち果てないように。それには歩き始める足がないので。ただ思うことしかできないので。ぼくだけが救いなので。期待に背いて通過しないよう。月のかけらをちぎって道しるべにしたんだ。そうしたら夜は永遠に真っ暗になって、敵も味方も抱き合うしかなくなるから。かじかむ指で火薬を詰めていく。ぼくは明日、名前も知らないひとを死なすかも知れない。そんな時にも、あなたさえ忘れないでいられればと思ってる。ぼくは、ぼくだけは。あなたの名前や瞳の色を忘れない。そして今日もまた火薬を詰める。白い雪のまんなか。プレイヤーのいない戦場で。もう終わったんだ。人の声がして、たちのぼる湯気。寄り添ってくる哀れみの声。もしかするとぼくが幻なのかも知れない。もう終わったんだよ。窓の外を見るとひとひらの雪もなくて、濃いや淡いの花ばかり。三度目はもう言葉に頼れなくて、あなたはぼくを抱きしめる。爆弾になって破壊したい時間は、ミルクに溶ける蜂蜜よりも遅く甘く流れる。終わってなんかない。終わったりはしない。あなたはぼくを感じている。あんなに花が咲いているのに、指先がかじかんだままなんだ。終わらせてよ。ここへ終わりを連れてきてよ。ぼくはあなたの見る幻かも知れない。そうだといいのに。強く願った途端、やさしい薬のたくさん溶けたミルクが喉の奥に流し込まれ、もう手に負えない猛毒がゆっくりと目尻をあふれた。