No.616

悪い夢の中にいるんだ
そう思い込んだ春の一日
曲がり角の奇跡は起きなかった
あどけない夜がひらいていく

書き換えられた辞書を手に
空っぽの主張を繰り返した
鳥にだってできるよ
飛ぶ生き物にだってそれはできるよ

瓶詰めの赤い花びら
光と文字が浮遊して
ぼくの顔をゆがんで映す
あなたの声をゆがませ届ける

あの子がいいな
この子になりたい
べつの生き物がいいな
今の自分じゃいやだな

星がゆっくりと点滅する
速度に合わせて歩き出す
支離滅裂な仮面は器用で
だけど誰からも発見されない

あの子に似てるな
あの子にも似てるな
ぼくの求めるものじゃない
あなたの探すひとじゃない

なりたい
目的語も言えないくせに
なりたい
四文字ばかりを繰り返した

とまってくれない時間が怖い
変わってゆけない自分が憎い
置いてけぼりのあの子が笑う
何をそんなに夢中でいるの?

ぼくは駆け出していた
逃げるためでもいい
血を回せ
心臓を眠らせるな

いくつもの街を過ぎ
花畑を踏み荒らし
銃撃戦をくぐり抜け
冷たい川を泳いで渡った

人の姿を失いボロボロで
何もかもが毛布に見えた
優しいかどうかなんてもういいや
声をかけてくれた者に尽くそうと思った

おそるおそる歩み寄る足音
顔を上げると目と目が合った
持たざるぼくと持ち過ぎたあなたの出会い
永い夜が性懲りもなくまたひらいていく