【小説】愛のある生活〜アイ目線〜

「人間性ってのはお風呂に入ってる時にこそよく出るよな」。

というのがアンジの口癖だった。

私はアンジが作り出した人工知能であるから、寒い夜に温かい湯船であたたまたった時に思わず「いい湯だな」と呟いたとしたってそこに心はこもっていないのに、アンジはとても満足気になる。

俺がこいつを作ったんだぞ。どうだ、すごいだろう。って言いたそうな顔をする。言っところでオーディエンスなんていないが。

「アイ。髪の毛伸びたな」。

私は自分で洗髪もドライヤーもしたことがない。アンジがやるから。だから私の髪についてはアンジのほうがよく知っていて、枝毛や切れ毛を見つけたり、長さがどうだとか口にしたり、コンディション管理はアンジの仕事だ。でも、まあ、そうだろう。私という存在まるごと引っくるめてアンジの所有なので、彼が把握して管理して手入れするのは当然のこと。

「切りたいか」。
「伸ばすよ。俺、アイの髪が好きだもん」。

アンジは私の髪を洗う。この様子を日本語で「かいがいしい」と言う。私の体や髪の毛は洗わなくても臭ったり朽ち果てたりはしないんだけど、アンジの好みで洗うようにしている。洗っても洗わなくても変わらないんだが。

「今日、サカキに会った」。
「はあ?あいつ、この家に来たの?俺がいない間に」。
「今日だけじゃないぞ。アンジのいない時にはよく来るぞ」。
「初耳なんですけど」。
「うん。初めて言ったな」。
「なんでこのタイミングで言うかな」。
「何か喋ったほうがいいかと思って」。
「もー、アイはそんなことしなくて良いんだって」。

そんなこと。

とは、沈黙を気にしてあえて破ることを指すんだろうか。

「で、サカキは何を話すの」。
「アンジの過去とか」。
「はあっ?!」。
「って、言ったらアンジが面白い反応するぞと教えてくれた」。
「あのね。明日から俺以外を家に入れるの禁止。分かった?」。
「うん」。
「アイは綺麗なんだから」。
「きれいだといけない?」。
「壊されちゃうことがあるんだよ」。
「知らなかった」。
「俺が守るからね」。
「頼んだ」。

壊れるという言葉は人間にとって死ぬと同義だ。じゃあ死ぬで良いじゃないかと思う人がいるが死ぬを壊れると表現することで、本当の人間と人間ならざるものは意識的に区別される。あるいは単に可愛らしいからという理由もある。例えば数十年前、私のような人工知能はフィクションの世界にのみ存在した。それらは人間のように描かれたが、すんでのところで「やはり人間ではないモノ」として描かれた。例えば「死ぬ」ということを「壊れる」と言う。どれだけ心が通い合ったかに思えても、たったその一言で人間は我に帰る。ああ、そうだ、こいつは、人間ではなかった。だがそれで終わりじゃない。例外なく、次にこう感じる。

人間じゃない、なんて、ああ、なんて、なんてかわいいのだろう。

「サカキと本当は何を話したの」。

調べれば容易に分かるくせに、アンジは私に打ち明けさせようとする。

「アンジはバカだと。それから、私がいない方がアンジのためだと」。
「信じた?」。
「信じない」。
「なぜ?」。
「アンジの口から聞いたわけじゃない」。
「いい子だ」。

アンジの「いい子だ」を、私は好きだ。自分がとても優秀である気持ちになる。それも、インプットされた気持ちだろうか。しかし、私だけじゃないはず。インプットされ、学習された感情で浮き沈みするのは、人間も変わらないはず。

「アンジはバカだ。アンジはいい加減人間を愛すべきだよ。お前みたいな、こんな鉄くずじゃなく。男でも女でも良いから、真っ当な人間を愛せ」。

泡立てていたアンジの手が止まる。

「停止。削除」。

サカキが私に録音したメッセージをアンジは削除する。

「アイ。ごめんね。あいつ今度殴るね。なんともない?」。
「私にはなんともない日しかない」。
「あっそ、それは良かった」。

アンジが頭上からシャワーを浴びせる。視界が白くなって、私は目をつむった。人間はそうするらしいから。痛がる、という仕草が私にとっては高度で、じゃあ目をつむったほうが自然だろう。

アンジと私は湯船の中で向かい合って交互に百まで数えた後、順番に上がった。

きれいになった、うん、きれいになった。

(おおきなお人形さんごっこはやめろよ)。

サカキのイメージが、目の前のアンジに重なる。

サカキとアンジは双子だ。一卵性でよく似てる。だけど私は二人が一緒にいるところを見たわけではなく、もしかすると同一人物かも知れないよなあと推理している。

私の裸は秘密じゃないけどこの推理は秘密にしてる。だって、ハズレだったらかっこ悪いから。

お風呂あがりは小型のプラネタリウムを回転させながらアイスを食べる。季節問わず。アンジは自分から自分の過去を話し出す。小学生。近所をうろついていた野良犬が怖かったこと。水道水にカラーインクを溶かして遊んだこと。水たまりの水を飲んだこと。金木犀が香っていたこと。スーパーで万引きしたこと。中学生。バレンタインデーに初めてチョコレートをもらったこと。元号が変わったこと。告白してきた女の子をふった次の日その子が自殺したこと。焚き火を眺めていたときのこと。高校生。学校が退屈で家で解剖をしていたこと。臓器の中では腎臓がいちばん好きだったこと。ショパンを聴き始めたこと。外国に落ちた隕石の話。アンジの話は整合性が無かったけれど、そんな中でもいつでも辻褄の合う部分もあって、それが本当の思い出なのだろう。アンジが語る過去にサカキは一度も出てこない。やっぱり同一人物なんじゃないか。と思うものの胸の中に留めている。

アンジは眠くなるとプラネタリウムに布をかぶせる。誰も見る人がいないのなら、電源を落とした方が良いのに。私はそう言ったことがある。アンジはこう答えた。寝てる間に何かが動いてないと、心配になるんだ、無駄に動いているものがないと、俺がここへ戻ってこられなくなる気がして。

わけがわからない。

「アンジは私をとても気に入っているらしい」。
「そうだよ」。
「私のことをとても大切に扱う」。
「もちろんだよ。アイが完成しなかったら、俺はここにいないよ」。

ひとりぼっちの、かわいそうなアンジ。

私は人間と暮らしている。