【小説】アイのある生活

冷蔵庫に隠しておいたアーモンドチョコレートを。

食べられたくらいであんなに怒ることはなかったのに?いや、それだけじゃない。複合的な理由だ。何が悪いのでもない。逆に言えば、何もかもが悪い。でもその中にこいつは含まれない。含まれないのに。

「もうちょっと眠りたい」。

気だるそうにまぶたが持ち上がった。色素のない体にポツンと色づく赤い瞳。寝返りを打つと腰まであるプラチナブロンドが腕に絡まる。

「ごめん。ごめんなさいでした」。
「私は眠いと言っている。何を謝っているのだ?」。

優しさ?それとも本当に忘れてるだけか?

とにかく俺の気持ちを伝えることはできた。そして、もう怒っていないみたいだった。俺はひどく安心する。こんなに不安だったのかと今やっと分かった。

「買い物行こう」。
「私は行かない」。
「お昼からで良い。おやつ買ってあげる。たくさん。いーっぱい」。
「じゃあ行く。でも今はまだ起きたくない」。
「俺もだ」。

それから30分くらいうとうとした後、アイはいきなりシャキッと目を開けた。

「人間ってのは、時間の概念があるのかどうなのか分からないとこあるよな」。
「あるよ。朝起きて夜寝るじゃん」。
「スケールが小さい。そうではなく、自分の人生いつまでも続きますよみたいな顔してるじゃないか」。
「それは仕方ないだろう。ああいずれ死ぬのかってことを、毎分毎秒考えてたら病気になる」。
「いつかやれば良いだろう、とか。明日に後回ししよう、とか。一週間後に実行に移そう、一年後に出かけよう。お金が貯まったら始めよう、身辺が落ち着いたら趣味に専念しよう。経験を積んだらデビューしよう。完成したらお披露目しよう。とかとかとか」。

何が言いたい?

と言いかけた俺はふと思い当たり頭を抱えた。

「あー、うーん、ごめん。ごめんって」。
「思い出したか」。

アイが肩越しに目を向けてくる。

「はい」。
俺は素直に返事をする。

「何を思い出した。言ってみろ」。
「はい。昨夜はアイとケーキを食べる日でした。それなのに俺は仕事に夢中で忘れてしまってました。日付が変わる頃に帰宅したらアイが俺のアーモンドチョコレートをポリポリ食べてたのでカッとなって叱ってしまいました。本当にごめんなさい。それから、さみしい思いをさせて申し訳ありませんでした」。

ふん、とアイが鼻を鳴らす。
まあそろそろ許してやっても良い、の合図だ。
しかし俺はさらに続ける。

「アイが人間に対して思うことを否定はしません。俺だっていろいろ後回しにしちゃいます。そこは認めます。でもそれってある意味仕方ないことでもあります。なぜって一度も死んだ経験がないから。生まれたことしかないから分からないから。なのでアイは俺を導くべき。俺が間違ったことをして、例えば昨夜のように一ヶ月前からしていた約束を忘れて目の前のことに気を取られている時は、正しい道に引っ張るべき。今日は一緒にケーキを食べる日だったろう。一ヶ月前から約束をしたよな?なのになぜ私をないがしろにするのだ?なぜ構わない?なぜ放っておく?私が不死身だからか?私には寿命が無いから後回しにしたって大丈夫だろうと考えているのか?だったらそれは思い過ごしだ、いったいいつから勘違いしていた?たしかに私は不死身で寿命とはもはや無縁だ。だが、さみしい気持ちが無かったり薄かったりするわけではない。放置されるとされただけさみしさが長引くだけだ。したがってお前早く帰ってきて私の相手をしろよ痴れ者が!くらいは、言ってくれても良いんだぜ」。

アイは目を見開いたまま俺の言葉を聞いていた。

「すごいな。どうして分かった?ほとんどその通りだ」。
「分かるさ。産みの親だもの」。
「すごいな。お前のそういうとこ、尊敬できる」。
「どうも。では朝食にしますか」。
「ケーキ」。
「は、せめてデザートで」。
「まあ良いぞ」。
「ご理解感謝する」。
「どういたしまして」。

俺は人工知能と暮らしている。