【雑記】終わらない問い

本当に、そうだろうか?

その言葉を呪文のように唱えて欲しい。新しい考えに触れたときだけでなく、私たちの周りにある当たり前に。それは本当に「当たり前」なのだろうか?子どもは思いがけないことを質問して大人をうろたえさせる。うろたえた挙句、空想めいた理想論や、「もう少しおとなになったら分かるよ」なんてはぐらかす。

たとえば、「好きなことで生きていけるほど人生甘くない」という言葉だ。本当にそうだろうか?ほんとに?

私は、逆の時代がどんどん来ているように思う。逆って、つまり、「好きでもないことで生きていけるほど、人生って甘いものなんだろうか?」。いいや、違うように思う。中途半端にしか生きていけない。

私はいろいろなことに興味を持って首を突っ込んで、ちょっとかじってはやめてを繰り返す、ようは飽き性の毛があるから、余計に、思うんだが、打算も、計画性も、そもそも好きでやっている人には敵わないんだ。

人間にとって一番耐えがたいことは、無意味なことではないだろうか。何をしていても、この気配に襲われたら、気を病んでしまうんじゃないだろうか。その予感は、人を鬱にしたり、精神の病気にしたりする。そしてその確信は死に至らしめる。

逆に、意味のあることならある程度生きられる。だから、意味の有無論、自問自答、これのやりすぎはリスキーで、あまり考え過ぎないのが健やかの秘訣。

だが、無意味論に太刀打ちできるものがあって、それが、最終的には「でもやっぱりこれが好き」という気持ちである気がする。そう思えるかどうかで、危機を、乗り越えられるように思う。

これがうまく作用しなかったり、他からの作用で捻じ曲げられてしまった時に、周囲を傷つけたり、事件が起きてしまうんだと思う。

なので、好きという気持ちは隠し持っておくほうが安全のように考えられる。

だけどほんとうは、好きという気持ちは表に出してこそあなたを幸せにしてくれるもので、少なくともそういう可能性を高めてくれるもので、同じようにそれを好きな人とつながることがあったり、運が良ければお金になったりする。誰かを元気付けたり、それこそ救ったりする。

人間が打ち負かされる時、無力感や無意味感がある。太刀打ちできるのは、好きという気持ちだけ。

きれいごとに聞こえるな。
でもたぶん合ってるよ。一理あると思うよ。

結論:って私が言ったら「本当に?」って思うんだよ。ほら、そういうとこ。