わたしふと思ったんだが、好きなことは好きでよくってそれは疑いようのないことなんだけど、嫌いなものの中でも「毛嫌いする」ってのは時として弊害になるんじゃないかなと。人生において。「食わず嫌い」もそうだな。
というのも、わたしはいわゆる文系で、学生時代も文系科目が全体成績を引っ張ってくれていたわけだが、理数系もできたらいいなとは思っていた。しかし、まあ、苦手ではあった。その延長でExcelとか表計算ツールまで苦手だった。が、さいきん使うようになって気づいた。これさあ。理数苦手なひとほど使うべきじゃね?うん、そうだね。
これから先、言うまでもないことを言いますよ。
こういうツールってそもそも得意な人はまあ普通に使うだろうから良いんだけど、苦手な人こそ使うべきなんだよ。だってさ計算とかめっちゃしてくれるし(語彙力)!今なら関数だってね、もうほとんど何も知らなくても「ああ、それね。ちょっと貸してみ」みたいにやってくれるでしょ?そのさりげなさ、イケメンかな?!Officeソフト擬人化シリーズとか出たら絶対Excelインテリメガネ系なりそうだけどあえてさりげなさイケメンキャラであって欲しいわ。
ん?なので、理数というでかすぎる枠組みに放り込んでしまうのはもったいないんだよ。これは何もExcelのことだけを言うんじゃなくて、意外と私達は必要以上にでかい枠組みで何かを忌避したり嫌悪している。
イチゴのつぶだって顔近づけてよーく見ればひとつひとつ違うんだよ。暇人って言うな。超忙しいからな。同じように、たとえば、雪って漢字にすると一文字になるんだけど、あの結晶ってひとつひとつ違うというじゃない?
「日本人だから」とか「ゆとり世代だから」とかってひとくくりにされたら「違う」って言いたくなることもあるわけでしょう。「埼玉県民は」とか「那覇市民は」とか言われたら、そんなんじゃない、って。「ジャニオタは」とか「韓流ファンは」って言われたら、褒められる内容に対してはまあ良いとしても(そんなもんだ)、貶される言葉に対しては「いっやあ?どうだろ?そうかなあ?」って首をかしげたくなるじゃないか?
そういうことだよ。
どっちの立場にもなりうるのよ。でさ、もったいなかったり恐ろしかったりするのは、相手が「ちがうんだ!」って言ってくれるならまだ再考の余地あるけど無反応だったり「そうだね」とかって返してきた場合だよな。
だってそのままの認識でこれからも生きていくことになるんだもん。もしかしたら違う見方ができたかも、そんで、あたらしい世界がひらけたかもしれないのに、「そうだね」で閉じるんだもん。
ほんともったいねーなー。リスキーだなーって思う。自戒含めての話。
でさ、わたしが何を書きたかったと言うと、「毛嫌い」の「毛」って何ってことなんだよね。ちょろっと調べたらそのままらしいね。毛のこと。動物たちの世界では毛並みで好き嫌いを判断するからだそうだ。「あいつボサボサの毛並みしてんなあ。きーらいっ」ってことか?ちょっとかわいい。
しかし、ここまで書いといてなんだが「好きなものが増えすぎる」のも困りモノだと思っているのもまだ事実なんだけど忙しいからここで終わるね1249文字。