好きなことについてたまにぐるぐる考える。まったく同じ環境で、境遇で、育ったふたりがいたとする。だけど好きになるものも嫌いになるものもそれぞれで、それってなんか本当にすごいと思う。優しくされてもその人を好きになるひとと「下心あるんだろ」って疑念を強めるひととがある。逆に、意地悪なことをされてもその人を遠ざけるひとと「なんでそうなの?」って歩み寄るひとがいる。捨てる神あれば拾う神ありではないけれど、この世界に誰からも無関心のひと・もの・ことって存在するのかな?そんなものがあったら私たちは見つけられるんだろうか?もし見つけられたとしたら自慢できるような気がする。誰に?誰かに。
そして、好きなことなら人間何があってもやり通すものだから、行動にうつせないんだったらそれは好きとは言わないんだ、という言葉に苦しめられるひとも多いのではないだろうか。好きなことは消えていかないし無視できないものだから大丈夫(あるいは問題ばかり)とは私も思うが、それって極論すぎやしないかとも思う。いいわけとは違うんだけど、なかなか踏み出せないことってあるんじゃないだろうか。こんな言葉をきいた。
好きでも嫌いでもないことにはそもそも悩まない。
そうだな。離れようと思って離れられなかったり、やめようと思ってやめられなかったりすること。だけ、では、なく。離れないと思っていたのに離れてしまって、やめないと思っていたのにやめてしまったりする、しかもそれをずるずる引きずっていつまでも覚えている。続けているひとが羨ましい。続けられなかった自分がうらめしい。その段階でもまだあなたはそれを「好き」なのではないかな。きっとそうだよ。嫌いであったらべつの好きなことにかまけていたり、そもそも思い出したりしないはずだし、うじうじ悩んでしまうのも妬んでしまうのも、まだ好きだからだよ。
と、思うなあ。
なのでさ。まずは認めたらいいと思う。悩んでいる時に何が苦しいのって、無理に嫌いになろうとしているからではないかな。好きだって認めればいいんだと思う。
で、どうする?ってところからスタートすればいいんだと思う。
いやいや「で、どうする?」って何が?ってなると思うんだけど、だから、向き合い方っていうのかな。従来のやり方じゃ自分に合わなかったんだよ。だから、それ以外のやり方で、あなたはあなたの中にある好きと向き合う必要がまだあるんだと思うよ。
具体的にどうしろって提示できないんだけど、そもそもこの話がとっても抽象的なところを、いい加減な感じでさまよっているからね。
とにかく、自分の本心を認めないのはいけないよ。気づかないのは仕方ないのだとしても、分かっていて認めないのは罪だよ。たぶんそれは何かに役立つことがあるとして神様からもらったものだから、自分自身で抹消を試みるのは良くないんだとほんとうに思うよ。なぜってそれは必ずしもあなた「だけ」に役立つとは限らないからだ。あなたに与えられた才能だとか特徴だとか何かに対する「好き」という気持ちは、ただしく育くめばやがて何かに、誰かに、つながったりしたものだよ。だからこそあなたはそれを好きだったはずだし、捨てきれなかったんだよ。
もうね、あれだよ。そうでないと説明がつかない領域だと思うんだよ。科学とか心理がどうとかいうひとが書けばまた別の見方になるんだろうってことは分かるよ。解釈なんだよ。だから、自分がいつまでも嫌いでいるもののこと、案外あなたは好きなのかもしれない。そう仮定するとしっくりくることって想像以上に多いんでない?そして、そのほうが良いでしょ。考え方としては。それだけ。ほんとそれだけ。
1,497文字。原稿用紙3.7枚分。