【雑記】得意は使える

ここ数日、好きについての記事をいくつか書いた。好きは強いとか、好きなことは消えないから大丈夫とか。その見解は今のところそのままだけど、好きとよく比較されるのが「得意なこと」ではないだろうか。

好きなことと得意なことは違うとよく言われる。私もそれはいろんな人を見ていてよく思う。「あれ?この人これを極めればいけるんじゃないか?」とか、「なんでこの人ここを磨かないの?」とか。それらは他人事であるがゆえの見方かも知れないけど、本人の素質と願望が寄り添っていないことは多々ある。時としてそれは「ギャップ萌え」という新たな価値を生み出しもするが今回はその話ではなく。

服装に例えたらどうだろう。
その人が着たい服(好き)はロリータファッション。仮に。
でも、似合う服(得意)は清楚な和装。とかね。
極端だけど。

じゃあ得意な物事が当人にとってなんの利益ももたらさないの?他者からの評価以外に?ってなると、どうもそうじゃなくて、好きなことを維持したり始めるためのサポート役になってくれるんじゃないかなとは思う。メインに据えると「ちがう、そうじゃない!」ってなるけど、得意なこともやはり好きになるはずだよ。それを頼って人が集まったり、それが得意なおかげで人から褒められたりしていれば。卑屈にならない程度に。そういう才能が何か一つあれば、自分の好きを保つための材料になるんじゃないかな。好きで生きていなくても、得意でお金を稼げるのなら。そういうやり方もあるんじゃないかな。

そのやり方の良いところは、得意なことは「スキル」として客観的にとらえられるところ。得意なことはそれを好きな人にいつか抜かれる運命で、それは避けようがない。好きは最強だから、苦労も苦労じゃない。だけどそれが得意なことであったら、受け入れられるだろう。すごいな、好きには敵わないなって。だから得意はツールには向いている。すべては好きを守り、続けていくため。
なので得意なこともあればあるほどよい。

もし好きなことも得意なことも何にもないのだとしたらその劣等感で生きていけば良い。劣等感とか自虐の精神はとらえようによってはだいぶ強い。ギャグにもシリアスにもなるし、共感を得やすい。つまり自分のファンがつくれる。自分を見てくれる人がいると知ることほどの幸せはそうそうない。そこから、何か挑戦しようとかあれこれ願望が出てきたら「しめしめ」とほくそ笑むのです。

自らの手で終わらせなければ絶対どこかにはつながる。
好きになれない今のために、好きになれるかもしれない人や時代まで捨ててしまわないで欲しい。
こういう言葉はいつだった発する方のエゴであるんだけど、理由がないなら私のために生きてよ。ってやつ。

一でつまづいたからって残りの九十九を捨てちゃう?
もったいないよ。
ふざけるなと感じる。

どうせ死ぬの。だったらなおさら今を選びたいって純粋に思ってるならそれはそれで自由にすれば良いけど、もしも「本当は〇〇したいのに。」って気持ちがあるんなら、それができるまで生き延びるんだ。

死にたかったら詩の中で何回も気の済むまで死ねば良いし、殺したかったら小説の中で何人でも気の済むまで好きな方法で殺したら良い。

諦めるには若過ぎるんだよ。
関わりすぎているし。

まあ確かに君が死んだって世界は回るけど。
生きてたってどうせ回ってるんだつまり変化なし。

みんなバカ死ね地球もろとも粉々に割れちまえって罵りながらもう少し見ておこう。いつか平気になって笑えるよ。今はそんな自分を想像できなくても。いつか全部肥やしになる。卑屈も憎悪も嫉妬も羨望も落胆も敗北も不安も。貯めれば貯めるほどお得になる。
つまりマイルだな。
せっかく貯めたマイル、使いたくない?