誰にだって誰にも知られたくない秘密がある。
誰だって誰にだってそんなものがあると思いながら日々過ごしている。
けれどたまに、こいつは違う、という人物に出くわす。
富士にとっての鷹野がそれで、鷹野にとっての富士がそれ。
富 士 と 鷹 野 く ん 。
下校しようとしたら突然の雨で、ならば、と傘立てから適当に引っこ抜いた傘をパッと開いて歩き出した富士は背後から肩を引かれて振り返った。
「なあ、おい」。
鷹野だ。四月から同じクラスになって二か月は経過しているが、いまだに喋ったことはない。もっとも富士にとって同級生のほとんどが“いまだに喋ったことはない”。必要最小限の会話とやり過ごすための同調。波風立てず入学から卒業まで。それを高校生活のモットーにしている富士にとって彼はもっとも接点の無い人物だった。金髪にピアス。まあでもそれはどうだっていいといえばどうだっていい。ただ、目つきが最悪だ。富士は自分のことを棚に上げていつもそう思っていた。鷹野の目は。
「それ、俺のなんだけど」。
富士はようやく鷹野が傘のことを言っているのだと気づく。
この場合、選択肢は三つある。
ひとつ、うっかり取り違えたふうを装い謝罪して返却する。これが最も無難。
ふたつ、あくまで自分の傘だと言い張る。この後には危険しかない。
みっつ、途中まで傘に入れてもらえないか交渉してみる。なんてね。
「じゃあ、途中まで入れて」。
混乱のあまり、頭で出した答えと口に出した内容が不一致してしまった。
しかし、鷹野から返ってきた反応は予想外のものだった。
「……いいけど?」。
どうしてそんなにあっさり受け入れるんだと、富士は鷹野を凝視した。勇気を出して、三秒だけ。
そういうわけで富士と鷹野は一本のビニル傘の直径からはみ出さない距離で相手の歩幅に合わせ合っていた。
ちぐはぐなことのこのうえない。何しろふたりの身長差は傍から見たら年の離れた兄弟さながらなのだ。
さらに、二人とも無言だ。
富士は考えていた。何故このようなことになったのかを。答えは明白だ。自分が言い出したことだからだ。だがそれにしたって鷹野は何故こうも素直に僕の言い分を飲んだのか。
ハッ。
そうか、これは罠だ。平和に下校だるんるんるんと見せかけて気づいたらアジトに連れ込まれて身ぐるみはがされ生きたまま臓器を取り出されそれらは違法な販売ルートで海外へ売り出され儲けた金で鷹野は部下たちと酒池肉林の豪遊三昧、迂闊なカモを永遠に語り草と、
「富士」
「は、あ、はい?」
「おまえ、俺のことどう思う?」
「……どうって」
「正直に答えろよ。殴らないから。目潰ししたり骨を折ったりもしない」
「……そう言われて正直に答えられるわけが」
脅迫されているとしか思えない。
「やっぱり怖いのか」
「やっぱりって?」
富士が顔を上げると鷹野は顔をそむけた。
仕方なく、傘を握る手に向けて話しかける。
「恐いものがなくて羨ましいなって思う」
「……羨ましい?」
「うん。羨ましい。いいと、思う」
「……いい?」
「うん。いい」
ふにゃ。
と鷹野が笑った。
気がしたけれど顔を上げる勇気が富士にはなかった。
なんだそれなんだそれなんだそれその反応?僕が認識している鷹野と違う。だいたい僕の中で鷹野は笑わない。絶対に。
「えーと、じゃあ、僕の家こっちだから、へへ、ありがとう。ごめんね、鷹野くん」
はやく帰りたい。
ベッドに潜り込んで寝逃げしたい。この夢幻みたいな現実から。
「えっ!富士もう帰んの!?」
「はっ?鷹野くんは帰んないの!?」
「……帰る、けど」
「だよね、よかった。えーと、うん。じゃ、これで」
「だめ!?」
「えっ何今度は何ええと何がですか!?」
「……お、送ったら、だめ?迷惑じゃないなら、えっと、その、ふ、富士んちまで」。
富士は悟る。
鷹野は。
鷹野は。
鷹野とは。
「……いい、です、けど?」。
誤解されてるだけなんだと。
+
つづかないよ。