No.660

手から砂がこぼれるように、口から文字がこぼれていった。つめたい文字。ひとりよがりな文字。自分ばかりがかわいい文字が。あなたは不自由。かわいそう。恋なんてものに落ちるんだもの。だけどたくさんの人がそれについてさまざまなことを言う。あまい。よくない。わすれてしまいたい。人はあまり気づいていないが、ホログラムのように降るものの正体は文字以前の言葉なのだ。あなたの知らない誰かが、誰かへ言いたくて飲み込んだ言葉。それらがシャッフルされて降り注ぐ。だからときどきハッとするよね。こんなことを言うつもりは無かった、って。自分がこんなことを考えていたなんて知らなかった、って。知らなかったくせに少し懐かしくもあるのは、ほんらいの持ち主の温もりが残っていたせいだ。ぼくはときどきつめたいことを言うだろう。何もちゃんと分かっていないような、分かろうともしていないような。待っているんだよ。ぼくの心が「それはちがう」と反論するのを。「ちがう、それは、ぼくの、ほんとの言葉じゃない」。妨げようとするものすべて貫いて張り裂けるのを。だけどまだ弱いんだ。邪魔されたくないから、耳をふさいで風を受けてる。粉々になったキラキラが頬や耳たぶをかすめていく。致命傷を避けて目を開く。ぼくが何も知らない最後の夜が明けようとしていた。誰かへ何かを本当に伝えたいとき、言葉すべて奪われるんだと知った。空の上の誰かが取り上げちゃうんだ、子どもみたいに素直なんだ、なぜならそれは一番おいしいので。言葉を窃盗され、気持ちだけ残され、徹底的に敗北したあなたは、経緯も知らず、途方にくれて、無力を憂い、恥じ、結局よけいに高ぶり、生死をさまよう漂流者みたいな、そんな目でぼくを見るんだ。