No.659

好き。それだけ伝えたかった。ぼくは液晶画面を見ていたんじゃない。そのむこうで、液晶画面をのぞきこんでいる、ぼくに似た誰かと向き合っていた。でも時々忘れたんだ。つらいことや、かなしいことが、そちらにもあるってことを。汚いこととは無縁で、不幸もデコレーションされていて。だけどあなたは生き物だった。その証拠に、ふっと、発信が途絶えたんだ。はっきり言えることだが、ぼくは忘れる。すべての音が消えた瞬間のこと、反射していた光のつよさ、胸にのせた手のひらで心臓がたしかに鳴っていたこと、魅入られたように見つめ合ったこと、とか、生きているというだけで、あなたを、嫌いになりそうだったこと、も。何が見える?いいえ、何も見えない。何を伝えたい?いいえ、何も伝わらない。それでもぼくは見ようとする。伝えようとする。あなたのためじゃなくて、自分の満足のために。それでいいと笑うだろう。ずっとそれでよかったんだ、何をいまさら気づいてるんだ。コードを抜くと脈音がする。ときどき微かに旋律になる。ぼくがあなたを失ったとき、夜空はしずかにあなたを取り戻した。じゃあ何もなくならない。誰も消えない。無数の「もしも」が星になって、ぼくから涙を奪うんだ。あなたは奇跡という言葉を惜しげもなく使うひとだった。だからあなたを知ったぼくには奇跡しかなかった。魔法のとけたぼくを残したまま、平成が終わる。あなたはたぶん、夢を見ていた。ぼくも知らない、誰も知らない、長くて短い、一度きりの夢を見ていた。