うわべだけの付き合いって悪い意味で使われているように思うし自分もそういうニュアンスでしかないと思っていたし実際そうある部分がでかいんだろうけど、うわべを繕う努力もまた他者への労わりやねぎらいや優しさの類に属するのではなかろうか。余裕のなくなった、人間の、なんと露骨に利己中になることか。余裕がないときの自分の、他者に対する、なんと嫌な反応か。そのことを思うと、うわべとか偽善とか建前とかそういうの、ぜんぶ、いいと思い始めた。思っていた。なんでも正直でオープンで明るくて公平で元気でわんぱくで誰とでも仲良く清く正しいことだけが清く正しいと言いたくないしそれもこれも暴論だから教室の黒板の上に貼ってあるスローガンみたいなやついつも苦手だったしそのとおりの生徒は別世界の住人。だけどその世界の住人は清く正しいうえに優しくて悪意がないから別名を天使といった。天使に非はなかった。もちろん天使以外にもなかった。強いて言うなら天使とか天使以外とか言ってる劣等感の権化が、その感覚がよくない。そしてその世界に属すことができない人種はその世界を貶めたり比較することでアイデンティティを得ている節があるから結局依存。誰もが誰かに救われていた。どこにも上下はなかった。敵も味方もいない世界。知人とオーディエンス。そのグラデーション。