【雑記】はなまるが欲しい自分をみとめるということ。

面と向かってのほうが分かりづらいんだけど、文章だったらその人がどういう感情かわかるなー。ほんとは逆だな。対面したほうが情報量多いんだろうな。だけど多すぎて逆にわからんっていうのと、文字とばっかり向き合ってた根暗ぼっちなのでたぶん、少しは、そっちに軍配が上がるのかも。自分の場合だけど。

わかりやすい書き方されると2種類の意味で「すごいな」と思うことがある。1つは、「私のような無知なものにも理解できる書き方すごい」っていうときと、「私のような疑り深い読者も納得させるってすごい」ってとき。この時自分の立場って真逆で、下から目線と上から目線で、どちらにも共通することは、わかりやすいってことです。わかりやすさは武器ですよ。わかりやすく、噛み砕けるって。大前提として、読む人をどこまで想定できてるかなんだよ。想定があってはじめて、どこまで噛み砕けばいいかが分かる。詳しい人に基本的なこと言っても「まどろっこしいな」だし、超初心者に専門用語使っても「なんじゃらほい?」てなるでしょ。ひとりよがりではいけないんだね。

それを思えば、先生向けの作文書くのってスキルでは?「こう書いたらいい点数もらえるだろうな」「こう書いたら先生は気に入るだろうな」っていうの。小学生の頃、漢字練習1ページっていう宿題があったのね。で、シャーペンでまるっこい文字で書くとはなまるがつく。鉛筆で丁寧に書くとそうでもない。っていうことに気づいて、シャーペンでまるっこく書き続けてたのね。まあ、知らんですよ。実際。なんでその先生がシャーペン+まるっこいに好評価なのかは。でも、続けているうちに「鉛筆で丁寧に書いてはダメなのか」という気持ちがいつもどこかにあって、「シャーペンでまるっこい字を書いて提出する自分は先生の犬ではないか?」というもやもやっとした気持ちを子供ながらに抱いたわけですよ。1行とかじゃなくて1ページだからね。数十分かかるわけですよ。その間ずっと、自分のものではない、先生が気にいりそうな書体で書き続けているもんで考える時間が嫌でもできてしまうんですね。

自分への裏切りとまでは言わないが、まあ、そういう系統の心理があって。これって大人になっても消えない部分だと思うんです。合わせなきゃ、という部分と、貫かなきゃ、という部分と。その塩梅で人格や人ってできてるんでしょうな。そして今になって私が思うには、その頃の悶々と漢字練習してる小学生の自分に言うなら。

べつにいいじゃん。

てことですよ。先生が気に入る文字を書いてはなまるもらっていいじゃん。だって気づいたんでしょ?鉛筆よりシャーペンがいいって。誰も傷つけてないでしょ?自分で疑問には思ってるかもしれんが。ちゃちゃっとやっちゃえばいいんですよ。

末端すべてが中枢に影響する、神は細部に宿る的な、考えが、悪い方に派生して、にっちもさっちも行かないなんて息苦しいでしょう。そういう、隠れ完璧主義?な部分が危ういんだろうな。

結局、はなまるが欲しいんですよ。そしてそれを認めたくなかったんですよ。きっと。何かを欲しがる自分を認めて、手段とかどうでもいいので、欲しいもんまず手に入れればいいのにね。たとえばそれを我慢して気が楽になるのか?そっちのほうが、ずっと、悶々とするんだろう。手段に対し潔癖になりすぎる点は、欠点になりうるかもしれない。逆に、ある程度手段を選ばない人のほうが、はやいこと幸せになれちゃうんだ。いろんな点で。

まあ、合う合わないありますがね。手段を選ばない自分がどうしても嫌でストレスで実践できないって人もいるだろうし。自分、自分、自分が一番。だけどその自分がもし「変わりたい」って思うなら変わればいいし、変わることは悪いことではないよ。

なあに書いてんだか。まったくわからんちんですな。8月も残りあと2週間きりました。はやく秋が来て欲しい。