小説『ショートケーキの恋人』

ショートケーキの質問がぼくにはわからなかった。

否定なんて出来るんだろうか。
肯定さえ出来なかった人間に?

(そもそも人間同士って、なんだか近すぎませんか?)

イチゴは誰しも好きなものだという前提で、先に食べるか後に食べるかを質問されても、意図がわからなかった。意図がわからなかったため「え、捨てる。」と答えたら、誰にも問いかけられなくなった。

そういうところがある。
そういうところが、ぼくにはあるよ。
きみは不快な思いをするかもしれない。
ぼくはきみの不快に気づかないかもしれない。
それでも平気?
(きみ、あたま、よくないほう?)

きみはきょとんとしていたけれど、キッカリ7秒後に笑い出した。キッカリ数えていたぼくだった。

そんなことで不快にならないよ、万一私がそうなったとしてもあなたは平気。平気なあなたを見ていたら、私たぶんなんでも乗り越えられると思えるんだ。

ぼくは見たことがなかった。そんなこと言える人がいること。想像もしてなかった。なぜってこれまで誰にも話したことがないからだ。打ち明けたのはきみだけだ。母数イチじゃ何も証明しないけど、ぼくの思考回路にはそれで十分だ。

ショートケーキのイチゴがトラウマになってるなんて、なんか、ふまじめに聞こえるだろう?

そう?実際ケーキにはいろいろあるよ?イチゴがのってないケーキとか見たことある?知らないの?嫌いじゃなければ探しに行こうか。

返事を待たずきみはぼくの手を取って、もう玄関のドアを開けている。

ちょ待って待ってぼく太陽が苦手。あの丸いのロープに見える。首を通せって言われてる。
ロープじゃない、ホールケーキだよ。太陽はあなたのこと苦手じゃない。
え無理。ほら、そう、あと落とし穴にも見える。落ちたら最後もう這い上がってこれない。
這い上がらなくてもいいよ、べつの世界へつながってるだけ。そこはもっと生きやすいかも。

(なにその理屈。)

口調穏やかな暴君に引きずられ通りを歩く。

花も信号機も新しい。
軽トラック、通行人、散歩中の犬。

ふしぎ、なんで?怖くない。
まぶしいのに、怖くないんだ。

つないだきみの手から色が送り込まれてくるんだ。
まるでコンバーターだ。変えてないのに変わってるんだ。
今なら言える気がする。今なら伝えられる気がする。

だけどなんだかもったいなくて、ぼくは、きみに何も言えない自分を、傷つけなくてもすむ自分を、とことん味わっていた。

ぼくの歩いた後に花が咲きませんように。
かかとやくるぶしから、いろんな花が、どうか咲き誇ってしまいませんように。

ちっぽけな誤解の積み重ね。
意味があると信じたことが原因だった。

意味のあるものなんて少ないし、なんならほとんどないよ。
与えていくんだ。欲しいのならば。
なくても平気。心臓って寝てる間も鳴ってるんだよ。
知ってた?

ぼくは素直に首を横に振った。
ぼくだけに向けられた質問に。
ぼくだけに放たれた好奇心に。

回答権を放棄して、ぼくはぼくがのせたかったものだけのせる。食べてもないのにすり減ってたぐちゃぐちゃのショートケーキ。ぼくは初めてフォークを握り。イチゴの味がしない生クリームを心ゆくまで味わうんだ。満足そうに微笑むきみの向かいで。