小学生の自分にひとつだけ質問できるなら、こう訊ねたい。
その日記帳、なんのために、書いているの?
サンリオグッズの鍵付きの日記帳ですよ。ブログはまだわかるよ。なんだかんだ言って誰かが見てくれている。意識している。でも、日記帳って、なんだろう。記録という概念も、発表という概念もないのに、ただ書いてる。ただページをめくって、日付を、書いている。出来事を書いている。ページ下半分には絵が描いてある。
これは、いったい、なんでしょう?
ただ、書く。
ただ、鉛筆を動かす。
ただ、ページをめくって。
日記帳のためだけではない毎日を生きてきた。
宿題ではないのに。
「ただ」は、おそらく、尊い。
尊かった、なあ。
そして日記帳を止めたタイミングもまた分からない。小学5年生まで日記帳買ってたけど、少しずつ、日が空いて、それから数ヶ月後にパソコンを手に入れたのだと思う。
私がパソコンを手に入れた平成。
その平成最後の夏が終わろうとして、平成の秋が終わるためにまた始まるのか。
そのままなのに、その通りという他ないのに、生きるって、気が遠くなりそうだ。
こんなこと書いているうちは人生の何もまだちゃんとわかっていないはず。ちゃんとわかる、ってなんだ。それも、わからないはず。