【雑記】どうせ誰も知らない。

周囲からすっごい徳のある人・温厚に思われてる人が実は顔に出さない(出ない)だけで、ひそかに愛するひとが悲しんでるの目の当たりにして虫も殺さないような顔+穏やかな声で「ぶっころしてこようか」って優しくささやくの只今の性癖。そればかりでなく敬語でよくない?「亡き者にしてまいりましょうか」って。は〜。周囲には関係を隠しながら、むしろ「あの2人は絶対ないわー」みたいな距離感のある2人が実は裏でつながってるとか良くない?「ちょ、やめろよ……ばれたらどうすうんだよ」みたいな時に「どうせ誰も知らない」みたいに、いつもは心配性なやつがさー、そんっな時だけ強気な大胆くんになってまったく年上おちょくるのもたいがいにしろよ、あっバカやめ……的な。

きれいな日本語にしたいんだけど暑さで体力続かずまいってる。作文って体力ですよ。何をするにも体が資本ですよ。て言いながら運動しなーい。外に出たくなーい。やりたいことしかしなーい。そして朽ち果てるー。

暑いと思い出すのが長野まゆみの「サマー・キャンプ」って小説だけど、温暖化っぽいの、夏ならではの腐りゆく感じとか漂ってたなあって思うけど気の所為かな……。記憶なんてあてにならない。人間ってさ、なんでもかんでも「われがわれが」でしょう。「人の手が〜」「昔ながらの〜」みたいなの、そうじゃないとこにまで持ち込むのいい加減やめよう?AIでいいんだってー。人間に不向きなことをさ、わざわざ領域守らなくたって。それって伝統とか人間らしさとか大切にしてることに必ずしもならんからな?むしろさ、費やさなくていいところに、こんな、せいざい百年の命をさ、費やそうとかさ、愚の骨頂。人間ちゃんがつくった機械ちゃんを信じようぜ。人間のほうがよっぽど信用ならんよ。機械の壊れる頻度と人間の精神や判断力の鈍る程度って後者のがやべーに決まってんじゃん、機械化迫害するのやめようぜほんと。とか喋りながらクーラーをピッとな。