嫌いなものを好きになるまでの時間と、好きなものを好きじゃなくなるまでの時間と、どちらが長いのかな。きいろい果物がたくさん実った樹の下でそんな一言から会話を始めた。質問のようで質問ではなかった。戯れの開始宣言にすぎなかった。ぼくたちはいつもこういうことを話しているつもりで、まわりから見たら他愛もなかっただろう。だけど時間に終わりはあるから、一見むだなもののために費やすくらいの贅沢なら試してみたかったんだ。おとなにならないこどもはいなくて、こどもにかえれるおとなはいないけど、だからってこどもを忘れるおとなはいない。一度そうだったことを、ぼくたちは二度と忘れられない。予め呪われていたから。ふたりの頭上で緑を広げたこの枝が、若葉より以前の、枯れた落ちた一個の実だったころから。かわいがられ損ねた執念が、花を咲かせて種子を落として、いまぼくたちに見せかけの質疑応答にふさわしい木陰を与える。
no.66
思ってもみなかった
こんなことに
使っていい、なんて
使う日が、くるなんて
わかるよ、って
だっておんなじだから、って
きみに言えたとき
傷痕の深さは報われる
正体よりも共感が大事で
どんな兵器より確かに
心臓を撃ち抜くだろう
だって殻を剥けば舌より脆い
これからたまに話そう
死ななかった日のこと
まるでべつの一生みたいに
この今に繋がる気配なんて
微塵も感じていなかったけれど
平和って怖いね
駄目にしながら裏切り続けて
いちばん嫌いな顔で嘲笑うんだ
自分勝手に傷つきながら
no.65
暗闇でも識別ができるのは
血の味は視界より鮮明だから
ひとつずつ色の名前を忘れていく
最後に残すものについて議論する
時間を振り払って不詳の生き物たち
不完全な縫合痕にも雪は積もる
きみの掌、ぼくの掌
結晶の崩れるまでの僅かな差異が
それに気のつくことだけが
ふたりきりの証明であり
明日はまだ何者でもないことの優しさ
頬杖
眉間のメス
軽口
生温い抱擁
初恋は愛を拒んだ
きみの髪がぼくの視界を遮る
そのために伸ばしたんだろう
膝だと言ったら林檎だと種明かし
夜をいくつも越えていけそう
no.64
ずっと舐めていたら横取りできそうだね、空からあの月。素直に思ったけど企みを気取られたくなくて黙っていた。僕はやっぱりつまらないヤツになってしまうことを嘆きながら頭の中ではもう舌にのせている。願ったとおりに手に入れられることが必ずしも幸福ではないと、きみを見ていればわかるよ。だけどそれを言ったら美点が消えてしまうよね。本当のきみが不幸であることを誰も知らないときみがいまも頑なに信じているということ、その姿が素敵なんだ。僕は語りかける。追憶の中でなら。妄想の中でなら。きみは首をかしげる。そっぽを向いている場合ではないよ。限りが無いわけではないのに。完成させたくない二人の夜は楽園から程遠いから僕は、みんなの知っている楽園がまやかしであることを知った。それを楽園と呼びたいがための孤独があるってことも。心配しなくても、もう知っているよ。
no.63
笑顔で話してた人が相手と別れて踵を返した途端にシュッ!と素の真顔に戻ることを、僕はもうそろそろ逆にとらえなければならないのだと思う。別れた途端にどうでもよくなったというのではなく、もともとその顔である人が、相手のためにずっと笑顔を見せていたのだと。それは他者への不可欠な心遣いであり、そういった他人の多面性を、その境界を見つけるたびに、いちいち世界に傷つくのではないよ。そういうのを続けるのは、よくないんだ。自分から生じた恐怖を第三者のものと置き換えて虚構の中へ投げ込んでしまうことも、揺れ動いていないふりをして誰かの傷を代理で負うことも。僕は善人ヅラした悪党だ。僕の血は僕の傷からしか流すことはできない。そのことをまっすぐに受け容れることは、君の血が君の傷からしか流れることがないということを身をもって知ることでもあるのだから。
(わかりたいよ、)。
no.62
好きすぎて後回しにする。積んだ本とか誰かとの約束とか。二番目以降から手をつける。だから一番目は崇拝対象のまま残っていつまでも不完全。たまに思い出して向き合うとそれは言う。おまえのせいでずっとさみしかったと。成る程ぼくのせい。に、違いない。だけどショートケーキのいちごは最初に食べてしまう。するといちごは拗ねるんだよ。一番目じゃなかったのかと。手をつけていいもの。つけてはいけないもの。正解をさがすから間違うんだな。帰ろうとするから迷子になるみたいに。耳慣れない言葉が頭上でかわされる時間だけは不在の実感。心地よい透明。死にたい日なんか無かった。誰にも覚えられずに消化されたかった。名前なんか。記号なんか。何かの印象で語られるくらいなら、あっ、というまの一瞬に窓の外を流れてったあの日の夕陽みたいに、当たり前のことみたいに、順番の呪縛から解放されて。叩き割ったナンバープレートを別の何かに見間違えて、空想でいいからまみれていたい。虹もオーロラもかなわない、空前絶後のスパンコール前夜。僕から相手にされないままのきみが可哀想で好きだよ。
no.61
就寝前の習慣。星空なんて言葉が幻想でしか語られなくなった新しい街の新しいとばりの中で。今日一日に傷つけた人の数だけ息を止める。明日また目覚める保証もないのに祈りの言葉を思い出す。救われないものは、救われないものは、実体の無いものに夢を見てばかりの生き物ばかり。おまえはいつか呪うだろう。いまここで僕を見捨てなかったせいで。忌まわしい色に染まることに怯えることなく、汚れたこの手を握って笑いかけたせいで。天体は運命を運びながら煌めく。人の目に映らないところで。疑惑の届かないところで。割り振られる番号も不足した死者ばかりの境界線上で。ふたしかな右と左。あいまいを思い出す光と影。記号を捨てた僕とおまえ。似ているところも似ていないところも、誰からも指摘されることのなかった生涯。互いに抉りあった心臓の正体がゼンマイ仕掛けだったとしても、未知を追放したことで安堵はもたらされるんだ。そんな夢。ただの夢だ、そんなこと、わかっているんだ。種も仕掛けも無い、この今以上のいつかは無いって。奇跡って言葉は使いたくない。ただ、わかっていたんだ。忘れたふりもできないくらい。毎朝、毎晩。星を拒んだ瞳の奥で。懐かしい唇が目蓋にふれる。柔らかくはない。だけど冷たくはない。さみしさは消えない。だけど平気だと思える。奇怪じゃなくてもこのまま深く許されてくれる。溶け合えそうだと錯覚するほどの微睡みに誘い込んでくれる。何度も、何度も。
no.60
完成しないよう
歩調をずらして
揃わないようにする
完璧にならないよう
呼吸を乱して
整えないようにする
きみが終わらせられないように
ぼくを飽きないように
呼ばない名前
触らない体
結ばれない片思い
喪失は常に瑞々しい
繰り返されるたびに新しい
だから何度でも傷つける
夕陽が一筋届いただけで
傾いてしまう
他愛もない決意の果てで
no.59
僕に恨ませてくれるくらい
優しい優しいひとだった
満たされることに怯え
いつも危険を冒していた
ひとが一人も虐殺されない日
野たれ死ぬことのない日はない
知らないことを知っていても
知っていることを知らないまま
光と音のジュークボックス
オーロラでアルファベットを覚えたんだ
それを幸せと呼ぶのだったら
それを幸せと呼ぶのだったら
向き合いたいもの
クリックひとつで救えない命
眠りたい場所
誰にも平等でたしかなNotFound
no.58
頑なの原因を
祈りの対象に求められたくはない
僕はいつもただ祈っていた
言い訳みたいに勝手に
ひとりを知らないひとりひとりのために
誰にも看取られない今日の月や
公園の片隅にあるさっきまで
たしかに生き物だったかわいいものに
寝ると死ぬの隔たり
約束と誓いの
緑と青の
大きくて近しい距離
不確かなものは愛に詰め込めばいい
誰の優しさも信じられず
やがて落下の夢を見るだろう
窓は今も開け放たれている
そのための理由を問うこともない窓
これほど優しい場所はもう
もう二度と僕の前に現れないと
寝ても覚めてもきみが思うようなガラス張り
破壊できなかったステンドグラス