no.134

手段を選ばないくらい強くなりたい。そう思うけど手が汚れたらちゃんと眠れない。もしもインソムニアが形あるぬいぐるみだったら、僕を眠らせてくれなくてもしっかり抱いて夜を過ごすのに。原因は他のところにあるって、どうしてそれを認めないんだって、答えは簡単に出せたはず。原因を突き止めない間は、何も改善しないあいだは、きみは僕から目が離せないだろう。まるで自分ばかり正しいみたいに話すね。せっせと繕ってくれて、かわいいひとだな。僕の所作の中でとりわけ食事の作法には眉をひそめるね。戒めにもならない。目の前に並んだ食材すべてに名前をつけるんだ。それから切って口に運ぶ。たまには砕いて、潰して、刻んで、捻って。だから時間がかかるんだ。利き手の握力、よく切れるナイフと刺し易いフォークだって欠かせない。水槽越しの光が銀色を跳ね返す。壁一面の聖書。魚にはわからない言葉。どちらが狂ってるか。決まってる。そんな質問をしてくるやつのほうさ。

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no.133

ちいさな光を信じろ
頼りなく消えそうなほうを
あなたが目を留めた
きみの気をひいた
ちいさくて
頼りないほうを選べ
表面上は愛想笑い
生き抜くために
守り抜くために
すべてを費やし
すべてをなげうち
手抜きと最も無縁に
ひたむきに
健気に
いっそかわいそうになるくらい
スマートに
シニカルに
冷徹に
不器用に
持てるすべてを持って
放てるすべてを放って
みつけたものを守ること
気に留めたものを失わないこと
迷わないこと
気づかないふりをしないこと
認めること
受け入れること
愛しいと声に出すこと
重ねて伝えること
臆さないこと
逃げないこと
二度と
ちゃんと向き合って飲み込むんだ
そして逃がさないこと

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no.132

たくさんの蜜をとどけて。光なんか夢見させないで。きみが僕をだめにして。早くいちばんになって。それ以外に邪魔させないように。ほだされた眠りの中でつかむもの。残暑にきらめく水道の蛇口。とめどなく溢れる水。液体の中で歪む風景。溶けることのない氷にとじこめられた春。旋風を受けて顔を上げよう。知らない色を確かめに行こう。明けずの夜と呼ばれたルービックキューブ片手に。使い古したランプにまた火を点けて。

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no.131

朝を運んでくる夜になんか眠りを渡さない。まだ瞼は落ちない。悪癖を嗜んでいる、秒針をはずして。庭の池に落とした涙は百年後には宝石になってみつかる。リボンの髪の女の子に。その日の空を今晩はとりかえっこ。だからいつもと違う星座だね。博物館から逃亡してきた影絵たちが芝生の上を躍り狂う。音もないまま。僕も静かに息を吸って、世界の耳元で囁きたい。ほんとうは好きだって。きみだけを考えていたって。

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【小説】一秒前の記憶

カーテンの陰に隠れた。あまり意味のない行為として。強いられることから逃げたがっていることを示したくて。
外は青い空と海の街。名前を知らないたくさんのものが今日も同じ場所にある。あちらから見たら僕たちの住むアパートもいつもの光景の一部で、誰かを幸せにしたり不安にさせたりするんだろう。
「おとなになることは」、書棚の本が声を上げるから見つかるのではないかと冷や冷やしたハイアンドシーク。何か伝えようとすると咽喉元がナイフの先で引っかかれたようにひりつく。欲求と恐怖はコントロールされてここに自由はないから、そのおかげで僕は生きていられる。あまりたくさんのことを考えるのは得策ではないよ。博士の声は一番最初に吹き込まれた音声でそれは消去することができない、なぜならそこには疑念を挟む余地のない切実さがあったので。
毎朝こんがりトースト、ママレード、ブルーベリーを潰したミルク、食器のかち合う音、僕は食欲を知らないけど対面することをインプットされているから真向かいに座って、博士が咀嚼しているのを眺める。博士は新聞を広げてコーヒーを飲む。この街で昨日起こった出来事を僕に読んで聞かせる。しかし博士はこの街で、いやきっとどの街ででも、何が起ころうと知ったこっちゃない。誰がどんな方法で殺されようが、政治やスポーツやクロスワードパズルの回答でさえ。博士にとって大切なことはこの街で起こった出来事を僕に読み聞かせるという行為そのものであって、それ以上でも以下でもない、なりえない。
博士は嫌々ながら外出することがある。仕事の話だとか上司がどうだとか学会だとかで。そういったものから完全に離脱して生活するほどにはまだ認められていないのだとぼやいていた。
博士はどこへでも僕を連れて行って、会話の内容を記憶させる。人の名前と顔を一致させる。博士はそういうことを苦手とする。博士はたまに女の人から言い寄られている。その場しのぎのために適当な返事をする。女の人は嬉しそうに見える。僕は博士が何故、後から彼がぼやくように「きみの口紅の色をみていると胃がムカムカしてきて食欲が半減するんだよ」と言ってやらないのか分からない。博士は人付き合いだから仕方ないのだと苦笑する。その笑い方のあとはしばらく無口になる。何を考えているんだろう。
博士は週末になるとどこかへ出かける。そこへだけは僕を連れて行かない。一度だけ行き先を訪ねた。お墓なのだと言う。
「誰の」。
「お前の」。
博士は何故、困る時に笑うんだろう。
夕方くらいに帰ってくると僕を連れて海岸に行く。僕は砂浜を歩く時の足の裏の感触が好きだから博士を置いて随分と先を歩いてしまうことがある。慌てて振り返ると博士は驚いた顔をする。
「博士、どうしたか。何に目を丸くした?」。
「お前が、振り返るとは思わなかったから」。
波のラインは時間によっても日によっても季節によっても違う。すぐ近くまで来たり、でも絶対に離れていくところだけおんなじ。僕が好きだと言った色をマジックアワーと教えてくれた。誰が命名したのか知らないが、良い名前ではないか。
博士はやがて随分と歳をとった。博士には家族もペットもいない。僕が家族で、僕がペットでなければ、の話だけど。博士は人付き合いをあまりしなくて良いほど実績を残した。住むところもアパートから一戸建てに変わった。お屋敷と呼ぶ。お金はたくさんあってどこかの施設へ寄付した。
「おいで、さよならをして」。
博士はカーテンをめくって僕を見下ろし、コードを入力した。sayonara。ぴぴぴ。短いゲームだった。博士の髪は銀色に輝いて、その目はどこまでも青かった。僕はプログラムが命じる通り博士の眉間に銃弾を放った。規定された位置に寸分の狂いもなく。考えることを許されなかった僕はひとつだけ秘密で思った。博士は幸せだっただろうかと。博士の脈が無くなっていることを確かめてから僕は僕のネジを外し、すべての記憶を抹消した。博士が冗談めかして言っていたように、ここにいた一人の人間の死が発覚するのは、ポストに溜まった新聞を訝しんだ新聞屋だろう。僕の頬が濡れている。どんなに良いだろう、今この時間の風景がマジックアワーに包まれていたなら。侵入は絶対に不可。博士のメインマシンとしての僕の回路に入りたがる同業者やマスコミは数知れない。だけど一人として立ち入らせはしなかった。どんな殻よりも強固なんだ。内側からだけは簡単に操作できるデータが、ぽろぽろと零れ落ちていく。零れ落ちる途中でどこへも消えて無くなる。僕はその中に博士の青春を見た。何かの過程で入れてしまったんだろうか。僕がまだ存在する前の記憶なんだろう。博士は随分と若々しい。幼いと言って差し支えない。そこに僕がいた。僕は最初それを僕だとわからなかった。笑っていたから。
博士は幸せだった。僕は唐突にその答えを得た。
外はマジックアワーだ。僕は目前にその光景を真に見た。
暗闇がすべてを優しく飲み込む一秒前。

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no.130

いつも影を追っていた
爛れても
変わっていても
好きでいられる
自分を信じたくて

誰のための眠り
誰のための祈り
誰のための微睡み
誰のための二人

答えのない問題を
花びらにして敷き詰めて
争いを避けながら
殺伐と平和を演じる

長く続かない楽園で
誰も幸せにしない、
僕たち以外の誰も幸せにしない、
廃園のような花盛りの下

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no.129

血を流す空を見上げた。初めてばかりが起こって、違う命を見ているみたいだった。僕が望まず手放したものは意志を持っているようで、引き止める努力もしなかった。言葉は排水溝に詰まり、不快感は黒々と溜まった。うずくまるとどの骨が動いてどんな形になるかってこと。何も問わずそれだけを描写するあなたがいた。信じなくても信じてもそこにあったもの。拒み続けた現実の中で、一日も。一瞬も色褪せなかった愛を知るんだ。

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no.128

知っておくといい
ひとは簡単に忘れることを
たちまちに過ぎ去ることを
長く覚えておけないことを
その痛みは一瞬でしかないことを

努力で繋ぎ止められるもの
そう多くない
僕達にできることの数
ほんとうは少ない
とても、すごく、少ない

幸せそうに振る舞うひと
何かを確かめたがっている
ちゃんと幸せに見えるかって
問いかけてきている

ふ幸せを滲ませるひと
探すことを委ねている
何かありませんかって
外側から見たがっている

眉をひそめる汚物の中に
宝物を見つけたら
手をのばす?手を汚す?
神さまを信じる?
愛や夢を語りながら?

誰の墓標もウエハース
雨が降って蛙が鳴いて
列挙するまでもない四季の賛歌の中
踏みにじられてものともせず
泣かされた相手を許す必要なんかない

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no.127

永遠を語った
あなたもいつか死んで
またひとりになるけれど
教えてもらった青の名前が
明日もぼくを生かすだろう
いいことだとも言わず
わるいことだとも言わず
とどまることなく流れながら
たまに少しのぬくもりと光
誰かを困らせないだけの愛と水
必ず終わるものを笑ったりしない
必ず置き去りにするものを憎まない
過ごした時間を後から悔いない
出会いと別れは星の数ほどあって
そのひとつひとつに灯火は宿るから

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no.126

てのひらに心臓を出したら
夕陽に透かして眺めるんだ
神さまっていつも
きみの姿で現れるから

ついた嘘の数
答えなかった問い
暴いた秘密
優しくできなかったこと

どちらを向いても苦しいのなら
いっそ空に溶けたいと思う
そんなことは絶対にできず
だから夢に見るだけなんだけど

たどたどしい筆跡
誰でもふたりを笑っていい
だけど達することはできない
僕らは決まってひとつにほど近い

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