no.161

私がここにいること
無くなった手の
理由は香りに消える
逃げずに知ること
名前をつけもしなかった
愛とか
置かれた場所で失うのなら
光とか
神さまって呼ぶ暇もなくて
暗号の形でいつもそばにあった
夢とか希望とか
言葉に置き換えたときに
削ぎ落とされるもの
その責任を取りたくなくて
新しいひとりを選ぶの
何度だって
逃げ切れもしないで
雲より高い場所
感じたなら信じるんだよ
生きていることも
ここにいないことも
何に繋がらなくても
誰も知らなくても
ひとりになりきれはしない
悩んでも拒んでも
誰かにとっての私はどこかへ通ずる
どこへでも行けるのと同じくらいに
私にとってすべてはどこかへ繋がる
いま引きとめないのならもう会えないんだ

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no.160

ちいさな棘がかわいいならまだ抜かないで。青い血が流れたら君に星座って名前をつけるよ。へたくそなスピカ。往来に溶け込んで澄み渡っていく。それを聞いた後と前とで何かが違っているんだよ。ぜったいに。ぜったいに。新しい光。古い光。きみが愛したものを次へ回して。まだ誰もふれたことのない僕だけを見ていてよ。倒錯した言葉で意味のないことばかり囁いて。明日の朝はこれまでのどんな日より明るい朝だ。

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no.159

送れなかった手紙の束だけが僕のここにいることを教えてくれる。手に余る重みと切実な筆跡。どんな悪事も時と一緒に流れるなら何も考えずにしたいことをしたらよかった。誰も傷つけない生活にはゴールがない。簡単な言葉を差し出しながら理解をはねのけたい。緑のカーテンを透かして届いたもの。午後二時の空が本当に伝えたいことは僕が感じ取ったこととまったく違うかもしれないのに、同じだったと信じることができる。それが人の強さであり脆さの正体だった。あなたが大切にしているものは良い匂いがするね。今ここにあるよ。

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no.158

揺れる
ドレープのはざま
きみと出会いたいよ
一度迷子になってから

耳と視界をいっぱいにして
時を忘れるくらい
それだけでいい
それだけでいいから

簡単を恥じない
ありふれたものへ溶け込むこと
つけられた名前で呼ばれること
ありうる世界を生きることを

首を横に振ること
死ぬなよって台詞に
もったいぶってはにかめ
僕くらい救ってみせろよ

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no.157

どう生きなかったせいで、きみは何を呪うんだろう。明滅する人工的な青色の中で、どこへ沈もうとして挫けるんだろう。きみの抉られた深い傷ほど、ぼくに安らぎと深い眠りをあたえてくれるものはない。夢の中でもまだ追いかけたい。果てしない風景の中を何かに縋るふりしてどこまでも走りたい。笑われたって。奪われたって。搾取されるたび、いつまでも終わらないものの名前を知ることにつながるだけ、今だってそうだろう?

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no.156

君の歌を好きだって言ったらメンヘラだって笑われるんだ。引っ張って緞帳ごと世界消したいのにそれもステージの上の一人芝居なのかな。絶対安全、溺れることのないプールで誰を待とう。その時間、夕焼けが辺りを囲んでいく瞬間、まるで自分が透明になっていくような感覚、誰にも分かられたくない。分かるわけはない。何も刺し貫いたことなんてないのに。新しいケーキ屋さんで何を買おう。苺のミルフィーユ恐怖症。同じように潰れて擦れたものが隙間からはみ出していたんだ。君はそれを今日のおやつも美味しくいただく。時間を重ねてはいけないふたりなんだと思う。どちらかが無理をして心のどこかで不気味がるような関係はいつか破綻する。でも君に言わせれば破綻は避けて通るものではない。信じるものを決めたくなくて音楽は左へ抜ける。過去から吹く風に押されて。手を伸ばしたくない。時空や世代を超えなくても今ここにあるんだとしても。あと少しが縮められない。躊躇う先にある体がまさにこの時、血の通っていたとしても。憶病者。どういたしまして。君は僕を愛している。馬鹿だよねって問いかけに何と答えたらいいの。この手でつかまえられないものほど無責任なものはない。

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【小説】Untitled

アンは英語のunからとって名付けられた。だけどそのことを本人も周囲の人間も気づかなかった。知る由もなかった。
アンには絵の才能があった。才能というのは相対的なものととらえられがちであるが絶対性があって時代や環境に左右されることがない。アンの母は自らは才能に恵まれなかったが才能の在り処を察知する能力に長けていた、それをどう使うかは人によるが。
私がアンと出会った時、彼は同世代の少年たちの平均よりはるかに低い水準で生活をしていた。身体能力や知能に関しても同じことが言えて、アンは絵筆でしか自分を表現することがなかった。しかしそれは同時に、絵筆による表現を確立していたとも言える。手段として多くを備えていながら表現を行わない人間もいる。かと言ってどちらが人間性に優れているか、劣っているか、という話をしたいのではない。
アンがいかに可愛らしいかということについてのみ話したい。
まずアンは見た目が可愛い。義手の先に取り付けた百の絵筆でキャンバスに描きつける。肩につけた装置を顎でチョン、と触れる操作により、手首の位置で回転することができ、百の色を飛散させながら踊るように描く。思いがけず絵の具が頬に当たった時、その時、アンは笑う。硬質な素材だと思っていたものが、実は軟体であったみたいに、ふわっと、飛べるはずのない生き物が飛んだものを見たみたいに、その都度私は馬鹿のようにいちいち新鮮な気持ちになって目頭をおさえる。
そしてアンには着衣という概念がないから外出時は私が選んだ服を着せる。外では絵を描かないので絵筆は全部はずして置いていく。突起になった手の先を見てアンは毎回ひどく不安そうだ。街路樹の下を歩くことを、ウインドーに映る街や自分を、憂鬱に思わないよう、随所にごほうびポイントを設ける。真冬でも大好きなレモンシャーベットは、アンのコートに時々垂れる。
アンは私を呼び止める。私が私につけた名前で。本当ではない名前で。
そのときに私は知るのだ。まるで知らなかったみたいに。
知っていたくせに。知っていたくせに。

「アン。マフラー。する」。
「何色にしようか」。
「それを。いい」。
「これはコートだよ」。
「アン、同じ色。する。いい?」。
「ああ、この色か。なぜ?」。
「あなた。すき。この色を」。
「そうか。それは知らなかった」。
「アンは知ってた」。

アンについて思うとき、なぜ答えを決めたいのかと思う。なぜ選択肢の前で立ち止まり続けることはできないのかを。表示できない形のまま納得することを。何故できないのかを。
私が逃亡中にアンの家に入ったことはまぎれもなく偶然であったし留守があるなら他所でも良かった。しかし押し入ったのはアンの家であったし二人目はアンの母であった。
似ていると思った。私が勝手に。
老婆を殺害したことが負であるならばアンの母をそうすることで正の方向に値が引き戻されるのだと思った。絶対値は釣り合わないだろうが、一旦正へと戻る。そしてベクトルは正へ向いたままで区切られる。それを期待した。私はつまり悔いていた。あんなに憎んだのならばわざわざ手にかけなければ良かった。そっと離れるべきだった。私は自分が思っていた以上にまともで、発狂などしていなかった。だから最初から壊れていかないといけない。その過程が今になって恐ろしかった。簡単なことではないのだ。何も起こっていない時間に戻りたいとさえ思った。たとえそれが実質の最悪であっても。

アンといると私は知るのだ。私がいなくて生きていけないものは無い。それは手を汚さなくても誰もが生きていける世界。色彩は自由に混ざり合って良かった。綺麗になるために理由はいらなかった。暗闇は駆け抜けても良かったしそのままうずくまっても良かった。光は溢れるから手につかんでも良かったし見ぬふりをしても良かった。ただし何を言ってもアンが首をかしげる。「何があってももう大丈夫だから」と、私の口癖がうつって。

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no.155

澄み切った朝
誰かの静脈みたいな始まり
神聖で触れがたい
だから会話もささやき声になる

撃ち落とせなかった青い鳥
日々を退屈そうに過ごす贅沢
階下でまた一人産まれて死んだ
悲しみも知らない透明のまま

冴え渡る視界
ぼくが忘れたとでも思った?
あの満月の夜
あなた森に何を隠そうとしたの

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【小説】七島町のうたかた

無難かつ自尊心を満たしてやるだけのセリフを吐いて後ろ姿になっても笑顔で手を振る。その子のためじゃなくて周囲の視線のため。つまりは自己愛のため。はっきり言ってそういうこと。口にすると角が立つからわざわざ口にはしないだけ。褒める。驚く。笑顔を見せる。これだけで幸せになれる人がいる。すごく効率的で問題ない感じじゃないか。誰にも攻められる筋合いはない。
「うさんくさい」。
いつのまにか側に立っていた幼馴染が毒を吐く。その図体が周囲からの視線を遮る壁になっていることを確認しておれは笑顔を引っ込める。
「何が?」。
「何もかも」。
ご丁寧に舌打ちまで付けて不機嫌っぷりを示してくる。おれが後を追ってくるだろうと信じて疑わない歩き出し方をするからあえて踵を返したくなる。しないけど。面倒だしこれ以上怒らせると厄介だから。怒っている顔はそこそこ悪くないけど限度ってものがある。強面の幼馴染にも。
「おれが消えてもいいわけ?」。
「何の話だ」。
「おれからうさんくささを取ったら何も残らなくなるって言ったじゃん。おまえ」。
「その見解は変わっていない」。
「だったら怒るなよ」。
「それとこれとは話が別だ」。
別、なのかねえ。って、おれは思う。気づかないふりのまんま。
どっちが先に言う?
おれじゃない。
お互いそう思って何年も待ってる。年季の入ったこじれは固い結び目であるとも言えて、どんな形でもいいから離れ離れになりたくないって考えに沿ってる。だからこのまんまでいいんだよ。お決まりのいいわけは電卓がはじきだす答えみたいに正確で間違えようがないけれど、打ち込む数字が違っていたら、って不安は常に残る。
「…はやく、ききてえなあ…」。
「何か言ったか」。
「言わない。コンビニのおでん奢って」。
「わけがわからない」。
「半分やるから」。
「ますますわけが」。
わからない。
レジを通すたび、店員にはどう見えてるのかなって思う。間違いなく、クラスメイト。ただの同級生。友人。いって幼馴染。それだけ。それまで。間違っちゃいない。
「あ。黒猫のケーキ買うんだった」。
「買っていいとは一言も言ってない」。
「堅苦しいこと言うなよ」。
「勝手に足すな」。
「うるせえなあ、口だけくん」。
コンビニを出て防波堤の上。卵、こんにゃく、大根。からしを混ぜて。いざ、はふはふ。
「行きたいね、どっか。行っちゃいたい。そしたらおまえ、来る?」。
幼馴染が怪訝な顔をする。それは困った顔になる。わかる、わかるよ。答えられるわけなんかない。だって、この町は狭い。できたばかりのコンビニは、この町の初めてにして唯一で。何をレジに通したかなんて拡めようと思えばいつだって拡められるんだ。
「おれは、」。
「ストップ。言うな。聞かない」。
幼馴染は何か言いかけた間抜けな顔のまま、前を向いた。
「おれはね、わかってるよ。おまえが嘘をつけないことくらい。わかってる」。
潮風は体に染み付いて、新しい場所でも最初は臭うだろう。それを少しずつ、上手に、消していくことが、おれにはできるから。少なくとも、いま隣の、不器用な幼馴染よりは。
「大丈夫。コンビニがあるから」。
なんかいろいろまとめ過ぎたんだけど、たぶん何も訊いてこない。もし口を開いたなら、かぶせるように畳み掛けて先に帰ってしまうんだ。
だけど何も言葉が出て来なくて、薄暗くなるまでそこにいた。
ふと、このままどこへも行かない。という選択肢、ずっと前に棄て去ったはずの選択肢が再浮上してきたんだけど、目を瞑って首を振って抹殺した。その仕草をどんなふうに解釈したのか幼馴染は、風邪をひくといけない、と言った。なんでいけないの。おれが風邪をひくとどんなことがいけないの。おまえになんの関係があるの。おまえに、なんの、関係が?
よほど問い詰めてやろうかと思った。でも口を開いたらろくでもない台詞ばっか出てきそうで何も言えないで頷いて立ち上がった。風に煽られたレジ袋が音もなくさらわれてって、ぽちゃっと海面に落ちた音だけ。たくさん後悔するだろう。この先何度も打ち消すことになるだろう。
これを、しても、しなくても。
手を引く。名前を呼ぶ。全部おれのせいにしてって言う。
呪ってやる。打ち寄せるだけの波、腰を下ろした堤防の感触、しょっぱい風。
何も、こんなにも、好きにさせなくても。
舞い上がったかに見えた白いレジ袋も、明日になれば波打ち際にむざんな姿で見つかるだろう。吹き上げられた瞬間の華麗さも身軽さも失って。そう考えたら体が軽くなって、笑えてきて、しまいには腹を抱えて笑うから、やがておまえはおれに呆れた。

袋から取り出しておいて置き忘れた黒猫のケーキ。
明日になってもきっと、思い出せない。

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no.154

見違えるような新しい朝、疑いもなくおはようございます。を言う朝に、昨夜の二人はどこかへ消えて床に落とした絵本は跡形もない。通じない言葉、翻る掌、影絵の中でだけ縄をすり抜ける体の一部。神様と呼ぶのは可笑しい。そこにいるのならいちいち呼ばないだろう。何度別の角を曲がっても君の背中に辿り着いてしまう、坂の多い街。人の営みに関わる輝きのすべて空に昇って誰にも探されないありかを指し示している。透明ばかりで胸焼けしそう、野良猫の鳴き声も君のでたらめも分厚い辞書も等しくくだらなくてかけがえがない。窓から放り投げたら次は何に生まれ変わろう。あんなにも委ねた表情をしなければ今頃どこにいなくてもよかったのにね。首を絞めたときに。心臓を撃った時に。川へ沈めた時に。呼吸を塞いでおやすみなさいを言った朝に。

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