No.634

変わらないものに縫い止めておくといいよ。たとえば星座とか。人の命より長ければいいよ。めぐるものでもいいね。春が来るたび咲く花だとか。忘れたい、忘れたい。願うたびに刻まれてく。遠ざかりたい、遠ざかりたい。祈るたびに距離はゼロからマイナスになる。なにも手につかない。ほんと、あなたって、ぼくをきずつけることばかりうまいんだから。わかっているのに、帰ってきちゃうんだから。忘れたい、忘れたい。遠ざかりたい、遠ざかりたい。だけどそれを繰り返すのは、他でもないぼくでしかない。あなたはいつだって忘れられたし、遠くへ行けた。ぼくの手なんか放して。

4+

No.633

認めたくない。だけど言わせてやんなきゃ。幸せでないあなたが好き。これからも好きでいさせてほしい。かわいそうなあなたでいてほしい。ぼくが悪さをしなくて済むように。新月の夜、なまあたたかい肉のにおいだ。花の香りと、踏みにじられた茎のにおいだ。傷を数えている。ひとつでも消えていたら困るんだ。そう、傷には名前をつけている。あなただって星には名前をつけるだろ?かんたんに覚えておけるように。物語にさえなれば消えていかない。みんなが勝手に話し伝えるから。当てようか。あなたは消えることを恐れてる。ふたりの利害が一致したんだ。それだけだから、他の名前で呼ぶのはやめておこう。完成しないパズルをつくってる。完成しないとわかってるから今もまだ人でいられる。これ以上近づいたら、生まれ変わってしまう気がするんだ。そしたらもう二度と、会えないような気がするんだ。嫌だと思う。辛いだろうと推測できる。何が成就しなくてもいい、何かが朽ちて廃れてもいい。一言も交わさないで、夢の中では笑い合ってる。だから体温なんていらない、都合のいい夜ばかりが待ち遠しい。

4+

No.632

なにが。ぼくに何ができる。崩れてく砂のお城をながめながら、考えてた。だれのために。誰のために。寄せて返す波を恨むくらいなら。解読されちゃいそうな暗号に舌打ちして、もう何度目のシャッフルだろう。切り開かれる傷口のむこう、縫い閉じられてく光を見た。体はただの入れ物になって、痛いも悲しいもどこにもないんだ。あなたに知ってほしい。ぼくは平気で、ぼくは穏やかで、ぼくは屑よりも細かくなって夜空に浮かぶこと、できるんだよ。血からほどかれて、骨から削がれて、花にも鳥にもなれるんだよ、って。満月、たとえば明日、あなたの中指が引き寄せるお皿の上、やがて口にする、他愛もない主食にだってなれるんだ。簡単にね。予感が重なり合い、淡い発光でしかない軌跡が、ゆっくりと明滅を始めた。繊細な感覚ばかりの世界は縫い閉じられて、まばゆい光のなかで、ぼくはあなたばかり呼んでいる。しあわせが染み込んで、絶望が淘汰される。その後に来る、圧倒的、静寂。何も。なにも、できない。

3+

No.631

長いと飽きると悪態、短いと儚いと憂いをこぼす。別れの断片が繰り返されて、繰り返されて、いやになるけれど忘れていける。裏切られて、裏切られて、置いてけぼりの逆再生。水平線が、夕陽に吸い込まれる。群青がやってきて、境目なんて消してしまう。空と海の。天国と地獄の。冬と春の。僕とあなたの。幸せと絶望の。夢とうつつの。だれもが境界線だと信じていたすべてが溶け合って、今がきっと感動のクライマックス。生き残った者達は景色の一部で、オーディエンスはどこにもいないんだけど。昨日と明日が、いまに溶けてく。僕やあなたが、世界に溶けてく。音楽が流れますように。耳を傾ける人がどこにもひとりもいなくても。音楽が流れますように。つぎ生まれるときに迷いませんように。

4+

No.630

生きていてもいいんだと、面と向かって言うのはあまりに傲慢だから、生きてきてよかったと、せめて感じさせたくて恋がある。ぼくにはずっとわかっていたし、なんなら見えてもいた。あなたの目に映るものがきれいで、どれだけいっても果てがなくて、名前もなくて、だから呼ばれもしなくて、だけど、だから、そこにちゃんとあるってことを。ぼくが摘んで空き瓶に挿しておいた、花に最初にふれた指があなたのものでよかった。あなたが初めて謎を覚えて、あの柔らかさはどんなだろうと純粋に駆り立てられて、手をのばした先にあるものがぼくの選んだ花でよかった。伝えたいことが、あればあるほどまわりくどいが、あなたのための、寄り道なら楽しい。初めてきこえたハミングが青空の手前で割れてしまって、曇天に吸い込まれてしまわぬように、この恋があるよ。はやく、はやく、鈍感なあなたにも落っこちてほしい。

4+

No.629

忘れないように何度も染み込ませた。嫌になったくらいで離ればなれにならないように。ぼくから剥がれ落ちたものがぼくの知らない場所でぼく以外に踏みにじられても絶対に朽ち果てないように。それには歩き始める足がないので。ただ思うことしかできないので。ぼくだけが救いなので。期待に背いて通過しないよう。月のかけらをちぎって道しるべにしたんだ。そうしたら夜は永遠に真っ暗になって、敵も味方も抱き合うしかなくなるから。かじかむ指で火薬を詰めていく。ぼくは明日、名前も知らないひとを死なすかも知れない。そんな時にも、あなたさえ忘れないでいられればと思ってる。ぼくは、ぼくだけは。あなたの名前や瞳の色を忘れない。そして今日もまた火薬を詰める。白い雪のまんなか。プレイヤーのいない戦場で。もう終わったんだ。人の声がして、たちのぼる湯気。寄り添ってくる哀れみの声。もしかするとぼくが幻なのかも知れない。もう終わったんだよ。窓の外を見るとひとひらの雪もなくて、濃いや淡いの花ばかり。三度目はもう言葉に頼れなくて、あなたはぼくを抱きしめる。爆弾になって破壊したい時間は、ミルクに溶ける蜂蜜よりも遅く甘く流れる。終わってなんかない。終わったりはしない。あなたはぼくを感じている。あんなに花が咲いているのに、指先がかじかんだままなんだ。終わらせてよ。ここへ終わりを連れてきてよ。ぼくはあなたの見る幻かも知れない。そうだといいのに。強く願った途端、やさしい薬のたくさん溶けたミルクが喉の奥に流し込まれ、もう手に負えない猛毒がゆっくりと目尻をあふれた。

3+

No.628

花が降る、この世の花が、白に降る、星に降る、こどもの頃に。そう。あなたを夢だと疑わなかった。だって、ちっぽけな僕にとって、こんなに早くこんなに素敵なものがあらわれるはずはないんだ。不思議で、不気味で、不可解だった。この先どんなものを差し出さないといけないんだろう。生きていくのがやになるくらいさ。だけどあなたはそこにいて、ときどき笑いかけてくれさえした。転機が訪れたのはある雨の朝、僕は子どもでもなく大人でもなかったが、あなたはずっと大人だった。それなのに僕が優位に立ったんだ。ささやかれていたんだよ、取り上げられる前に壊してしまえ。失う前に奪ってしまえ。嫌われる前に傷つけてしまえ。捨てられる前に忘れてしまえ。その声が消せなかった。そして実行した。相変わらず春が来て夏が来て秋が来て冬が来てまた春が来る。それを七回繰り返した頃。僕はついにあなたに追いついて、いま、すべての色を目に映せるよ。こんな色をしていた。怖がらせてごめんな。これからは大切にする。あなたは自分が加害者のように言うけれど、嘘だ。あなたが僕を大切にしなかった日なんて、一日だってなかった。僕がそれを忘れたことなんて、一瞬も。ああ、花が降る。この世の花が。天国にばかりとじこめておけないで。白に降る。星に降る。やましい恋を、もうひけらかして良いんだって。おまえが生きている世界でよかった。そう笑うあなたの髪に、黙って俯く僕の肩に、降りしきる、ふりしきる、この世の花の、なんて鮮明。

6+