【雑記】物陰から愛を叫ぶ

物陰からシリーズ第2弾。

声が大きいだけじゃ認められない世界がほんと好きでね。いいなあ、希望だなって思うわけですよ。いや、声のデカさって大事だよ。発信すること表明することは大事だもんね。要領の良さもそつのなさも媚び売るテクニックもみんなぜんぶ大事で努力の一環だもん。実力とか才能の類だもん。

でも、その声のデカさと、本題で求められるスキルって一致しないじゃん?つうか穿った見方でもうしわけないが反比例じゃん?

いいよいいよ、勝手に共倒れするなら。依頼する方も受託する方も勝手にそれで倒れるなら。

でも、声がちっちゃくても才能ある人や苦労してる人っているじゃん。目立たないけど重要な存在であったり、場所が場所ならもっと活躍できていたり評価を得ているであろう人。

それが正当に評価されてないのがホントくそでね、でもしょうがないなっていうふうにも思うんだよ。だって人間を選ぶの人間だから。人間って時々結果より手段や過程を見るから、すり寄ってくるやつかわいいし、もっともらしいこと言ってるスピーカーは「おっやるな」って思っちゃうでしょ。

くそですよ。

会社ってそういうところ、が多いのでですね。

結論:インターネットとパソコンだけで生きてこ。生きてけるよ。

生身の人間って雑音が多すぎて、外見とか社交性とかね。言われたこと早く正確に、なんならおせっかいで上乗せできるくらいの人が良いに決まってんじゃん?飲み会での態度がどーだとか、朝礼での発言がどーだとか、口がうまいやつにのせられてんじゃねーよー!

て思うわけです。

ネットは情報がごちゃごちゃ多すぎて危険とかなんとか言われるけど(今はそうでもないか)、雑音はめっちゃ少ないと思うよ。ただ、やりたいことがないと、こう、すぐ飲み込まれちゃうかもね。だから、やりたいことがないとかえってつまんねかも。

生身の人間の中でさ、今いる社会とか環境で生きづらくてもさ、不適合者だつって引け目を感じたりしょぼくれる必要ねーよ、だってきみを受け入れられない社会だってそれだけで不適合社会じゃないかこっちから見限ってやるといいんだ。

ほんとそう思う。不完全で未熟なやつが自分のことを棚に上げてきみを詰ったとしてもさ、そいつらの言葉通りだと思う必要ないんだよ。きみはじゅうぶん素晴らしいし、つーか、他人に決められる終わりとかないから。勝手にのみこまれんなよ。すぐに力尽きて思い通りに自分のオールを明け渡すな。それほんと裏切りだから。自分への。他人とか裏切っていいから、この際。どんどん裏切ってやればいいんだ。きみのことくずとか言うやつがいたら、くずじゃなくなることで裏切ればいいんだ。簡単に思い込むことで思い通りになるんじゃないよ。まったくもー。

なんか。ほんと、インターネットひろいな、って。

声が小さいだけで、要領が悪いだけで、腐されるのほんとまちがってるなって思って。まあまちがってるかどうかは時が決めるんだけど。生きづらい人に生きていてほしい。ほんとに「生きづら。つまんね」って思ってんならべつにいいけど、誰かにそう思わされてるんなら、ばかばかしいって思うわけですよ。

生きること、稼ぐこと、愛されること、そんな難しくない。「だけどぼくにはそんな資格ないって」、あなた、ほんとバカですか。そんなら一生バカやってろや。何度も言わせるのではない。

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