no.439

眠るきみをみている。きみは夢をみている。あのひとの名前を呼んでいる。苦しそうに呼んでいる。また繰り返しているのか。ぼくはうんざりする。きみがあまりにぼくに似ていて。物音を立てて気づかせてやることがやさしさだというんなら、ぼくは死ぬまでやさしくなれない。きみが過去にとらわれていることを嬉しいと思ってしまったから。救われないで。覚えておくんだ。ぼくはやさしくないけれど、きみだってそうだったことを。忘れないでおくんだ。目が覚めたらレモンタルトをあげる。飲めばなくなる紅茶と、時間がたてば消える夕陽をあげる。同じ罪を背負おう。同じ夢を見ることができないかわりに。コーヒーカップのふちが刃物でないことを祈ろう。猫の瞳が水槽越しに膨張する。あれにいつも見張られている。しあわせなんか口にするだけで手に入るもの。もう、二度と、そんな味気ないものに、憧れないでくれ。きみが悩むとき。きみが悔いるとき。ぼくはきみをもっとも人間だと思う。瞳孔がひらいたり狭まったり。ぼくを蔑むきみを正解だと感じる。百合の花がテーブルに落ちる。陰がなくなったら、ぼくはもう目もあてられない。

3+

no.438

ねえ、ぼくたちちゃんと見つめ合えている?あなたが今をやり過ごしているようで心配だよ。花冠はどんどんつながって豪華になっていくけど。いま、ちゃんと目を合わせてほしい。ぼくには貫きたい嘘があるんだ。印付けになるならガラスを叩き割ってもいい。この時がいつまでも続くなんて思わないでほしい。あなたにはちゃんとぼくを切り離してほしい。ふたたび地上に戻れるように。知ったものについて引き継げるように。時代が持ち去った海や、まだ与えられていない輝きについて。奈落の底で待ってはいけない。あなたが落ちるなら天地を違えてぼくが決して助からないようにする。どちらがより尊いのかは明白だ。青い日にかざした手指に塗れるものが、ぼくの血であってほしい。軌道を変えた惑星に、あなたのほうが守られてほしい。

3+

no.437

朝がこないならいい
来るとわかって言い聞かせる
あなたはさみしい目をする
それも生まれつきかな

暗闇で光が踊るのを見たよ
平気そうだった
夢は逃げないと言っていた
誰も平等に知らされない

年号が変わるね
この夏も標本箱に並んでいく
ずっとリアルだと思っていたのに
ぼくのリアルもいつか文字になる

同じだった
ぼくが振り返るように
まだ会わないあの子が振り返る
視線は決してぶつからない

星が流れた
そう錯覚をした
どんなに美しいか知らないだろう
あなただけは気づくことがない

外側から見ることがないから
ぼくではないから
あなたの名前でぼくを呼んで
途方もない距離が分かるだろう

3+

no.436

来ない電車を待っている
鴇色はここまで届かない
時間は殺さず生かしもしない
鮮やかな思い出から刻んでいく

どうして誤解する隙を与えたの
あなたは誰よりも幸せに
ならないといけない人だよぼくに
幸せを教えてくれた人だから

どんな過去が妨げるんだろう
それは紙の上には表れない?
這いずって辿り着いたのは
割れないガラスの出窓だった

追及は間違っている
話し合いは道を違えてる
沈黙のままやり過ごそうよ
分かり合えるなんて傲慢だから

自由になりたかったんじゃない
終わりにしたかったんだ
どんな毒も甘過ぎるから
あなたの背中は優し過ぎるから

3+

no.435

できそこないで安心をした?誰も汚いなんて思っていない。一番を知っているのに。本音を口にしたって嘘をついている気がして何も言えなくなる。(だって、きみに、嫌われたくない)。傲慢だよ。好かれる努力もしていないのに?そう、これが、まだ、はじまりであるせいだ。森の奥に隠せばだいじょうぶだと思っていた。それでいて、今すぐ見つけて欲しいと思った。こんなにわがままだったなんて。知らない生き物を見ているよう。炭酸水越しに見る世界。(生きても、いいよ)。伝えたいのは逆のことかも。(どっちでも、いいよ)。歪んだ言葉を耳にする。優しい。喉ばかり正常で、飲み込んだなら発する。ぼくの不器用さが誰かを救うなら。うまくできないんだ。何も、うまく。美しくありますように。きみのせいで今日の朝も明るい。美しく、なりたい。きみのいるせいで、この世界から目が離せない。

2+

【小説】ハミングのないピクニック

「それほどお腹が空いていなかったのがいけなかった」?

いや、違う。

それほどお腹が空いていなかった時に出歩いたのがいけなかった。

月のない夜に。

ふと、こわいような気がしたんだ。ずっと平気だったことが。どうして平気でいられるのかって。

おれは、なんとなく、それまで食べたもののためにもう一度生まれ直したいような心持ちで草むらを歩いていた。

「痛いです」
みっともなく飛び上がったのは、足元からとつぜん声が聞こえたからじゃない。
月のない夜にもそれがすこし輝いて見えたからだ。
「あなた、今、あたしのこと踏んづけましたよね」
「あん?」
「だったら、拾ってください」
「なんだと?」
「もう一度言います。運命なので、拾ってくださいな」
「あ、はい」

あの時は内心「あさごはん、みっけ!」くらいのノリだった。とりあえずその時は満腹で、だけど朝ごはんはあるに越したことはなくて、都合のいいことにそいつはおれを怖がらないから仕留める必要もなかった。

それがまあ、毛づくろいなんて、されてしまって。孤高の遺伝子が泣くぞ。

崖から落ちる時にすべてを忘れてしまったんだそうだ。矛盾だらけだとしてもおれはそいつが最初に語ったことを信じて、まあそれでいいかって思ってる。嘘でも本当でも。そいつがそういうことにしたかった。じゃあそれが事実だったってことでいい。

おばあさんが死んでしまった次の日、銃をかついだ猟師がやってきて、あの時の恩を返せと言うんだそうだ。いやだと突っぱねるとあっさり諦めて帰るんだが、次の日もまた次の日も来るんだそうだ。

それでね、猟銃を奪って撃ってしまったのよ。なかなかやるじゃないか、心臓か?まさか、左腕一本よ、べつに殺したいわけじゃないもの。まあ、そうだ。そうでしょ?そうだ、おれはその気持ちをとてもよく分かるぞ。殺したいわけじゃないんだ。うん。食べないといけないんだ。食べる?いいや、こっちの話さ。

誰も連れて行ったことのない花畑をなんとなく秘密にしておいたのは、分かっていたから。彼らはおれをこういう目で見る。

(そこへ連れて行ってどうしようと言うの?)

白い花がたくさん咲いたんだ。それを、見せたいだけ。

(嘘をおっしゃい)

ほんとうだよ。

(いいえ、それも嘘。いきなり食べる、つもりでしょう?花だって咲いてなんかいないのよ。あなたが育てた花が咲いたりするもんですか)。

がぶり。

夕焼けから夜になる時がいちばん安心する。
わかるわ。
自分が隠されていく感じがする。
そうね。
もう思い出しているんだろう?
気づいていて?
きみは忘れたりするもんか。
もういいの。
スカートの中に何を隠している?
何も。捨ててきたの。
おれは逃げたりしないさ。
あたしもよ。
追いかけたり食べることには疲れた。
そんなこともあるのね。
いつもだよ。
あなたオオカミには向いていなかったのよ。
そうかもな。
次はきっと平気よ。

おれたちは森で暮らしていた。特別なことじゃない。月のない夜にだけふたりでハミングのないピクニックをした。今までずっと、誰に自慢したこともなかったけれど。

3+
Scroll to top