no.286

くるぶしまでの水が続いている
映っている星を拾って食べる
空の模様が一つ消える
舌の上で転がしながら判定を待つ

こんどもだいじょうぶだった、
誰にも見られることはなかった
食道をゆっくり開いたら
半分柔らかくなったそれを流し込む

また歩き出すとしよう
指先についた蛍光塗料が
少しずつ存在を知らしめる
発見の確率がかすかに上がる

近づいてくる球体
でたらめな比率
肌に感じる視線の正体
君からのメッセージ

詰られたくない
まだ誰も信じることができないのかって
その感性で僕を駄目にしないで
同情は甘くて優しいことを知っているんだ

指の股にこの夜のビー玉を転がしたら
霧を吸って膨張した蜘蛛の巣が
新たな血管となって僕を火照らせる
君の冷たい溜息が聞こえる

生き物はあっけない
せいぜい百年か二百年
チャートで進む一生は慎ましやか
約束を守り抜くことなど難しくはない

破りたいのは暇つぶしをしたいからだ
一つの名前と顔をもらいながら
誰かの反応が知りたくて馬鹿をする
昨日までの僕だってそうだった

飲み下された星が胃に落ちた
と同時に思い出がひとつ消えた
それはどんな内容だったんだろう
一分前よりちょっと身軽になる

病床から見えていた景色
変わることはないって思っていた
君が持ってきた物は絶望じゃなかった
それだけで充分だよ

2+

no.285

簡単なたとえにたとえたくない
口にしたら軽くなってしまいそう
それを口にしたぼくの存在まで風船みたいに

だけどぼくは勉強をきらい
とりえなんて本当にないんだよ
そんな奴からも好かれてきみはえらい

こまかく砕いたクラッカーに蜂蜜を塗る
ああ、その作業だけは得意かも知れない
庭に来る鳥たちに慣れてほしかったからだよ
プレゼントみたいにかわいいんだ

ぼくだけがそうなんじゃないんだ
いいわけをするみたいだけど
ぼくのママとパパ
そのまたママとパパもあんまり賢くなかったって話

たまにぼくの弟みたいな秀才が産まれるんだ
不思議に思うだろう
だけど彼は正真正銘ぼくの弟なんだ
証拠はないけどぼく最初の日を覚えているんだ

ねえ、こうやって会話していても
瞼の裏におおきな車窓があって
ずっと景色を眺めていたいから眠ることがあるんだ
ごめんね、
ところでその汽車どこまで行けるときみは思う?

なんと、ぼくのいつか死ぬ庭先なんだよ!

むらさきのちいさな花
いいにおいの草がたくさん
きいろのちょうちょがひらひら
みんなベールをしている午後

知っているような知らないような顔が
ぼんやり半透明になっていて
とても優しいでひそひそ声で会話しているんだ
ひとが死ぬってこんなに優しいことなんだね

それを知っているから平気なんだよ
ぼくだけがベルベッドの目隠しだって
背中に羽のないことだって
他にも森でひとり迷子になることだって

だってぼくは知っているんだ
あのひそひそ話のくすぐったいような秘密性
ぜったいに聞くことのできない会話
ちがう国の言葉みたいだよ

空は曇ってもいつか青に戻るし
川は流れてもまた雨が降るだろう

かなしいことなんかひとつもない
あるんだったらノートに書いてくれ
ていねいにちぎって丸めたら
ぼくの山羊に食べさせてしまうから

1+

no.284

今のシーンもう一度と願っていいんだろうか
心の中まで見透かされている気がする
だから口数と愛想笑いが多くなる

もう分かっているいつものパターン
きみと別れた後で罪悪感に苛まれる絶対
目線逸らしたいけどその一瞬がもったいなくて

ぼくの考えって勝手にがんじがらめになるんだよ
どうして誰もいないみたいに振る舞えないんだろう
いくつになったってそれをできる気がしないのはどうして

そのままでいいのにときみは繰り返す
本気なのか慰めなのか訊ねること
今ぼくからしていいことなのかな

そのままでいいのになときみが繰り返す
顔を手で覆ってじわじわとこみあげてくるものと戦う
戦うべきでないかもしれない相手と無駄に戦う

たくさん許されてたくさん引き出される
たくさん失敗をしてたくさん後悔が生まれる
特別でいたいからって奇抜なことしてくれなくて良いんだよ

上手に笑えないほうがよっぽど好きだよ
なんて無責任なことを言うから
きみより他の誰かを好きになってやろうかと思う

何も知らないくせに
何も知らないくせに
何か一つでも知られたら困るぼくからは言われたくないだろうけど

2+

【小説】キーマについて

月光だけを照明にしているのは相棒の体がそれ以外の光を拒否するからだ。とは言え孤島の研究所で暮らすにはそれで構わない。俺は、慣れている。

向かい合ったキーマがフォークで生ハムを食べている。
俺から目をそらさずに。
「何故そんなに私ばかりを見るのだ?」
これには驚いた。
見られているのはこっちだとばかり思っていたが、キーマからすれば俺がいつまでも見ているのだ。言われてみれば、それはそうかも知れなかった。
血のようなワインをあおっていても、それが喉を鳴らしている間にも。
唯一無二。
そんなことが、ありえるんだろうか?

数年前に、最愛の助手を事故で喪った。
それからというもの、助手を再現することに情熱を注いできた。歳月をかけ、ようやく完成したのがこのキーマというわけだ。仕草はぎこちないながらも助手としての役割を立派に果たしてくれる。おかげで俺はキーマをつくりあげた後からでも本来の研究に戻ることができた。
キーマをつくりあげるためには十年ほどを費やしてしまった。キーマはまるで助手がその期間生きていたように、俺の記憶にある助手よりも若干年を経ているように見えた。
それでも、美しいことに変わりはない。
俺はキーマを最愛の助手そのもののように、愛し、扱った。
記憶や人格までは乗り移らせることはできなかったが、俺は程よく異常を保っていた。
発狂を防止する有効な手立ては適度に異常をきたすことだ。そうして狂気を逃がすのだ。まともでいられるように。
「なあ、博士」
「うん?」
「今日は見事な満月だな」
「ああ」
「雲もなくて部屋が明るいな」
「そうだな」
「きれい」
「ああ、綺麗だ」
「博士が私を殺そうとした夜みたいに」
手からフォークが落ちた。
キーマ、それは、誰の記憶だ?
「誰の?もちろん、私だ。博士、あなたは私を殺せていなかったんだよ。あの岸壁から、突き落としたよな。だけど私は死ななかった。なんとか岸に泳ぎ着いて、こっそり博士の研究所へ戻った」
「キーマ、」
「窓から覗くと博士は私そっくりの人形を作っていた。ああ後悔しているんだなと思った。嬉しかった。だって、博士の中でワタシはもう二度と取り戻せない存在になったわけだろう?」
キーマが次の生ハムをつまみ上げて下から食べる。
これまでにしたことのない食べ方だ。
それは最愛の助手の食べ方だった。
「だめだぜ、博士。まぼろしばかり追い求めてちゃあ」。
鋭利な刃物で臓器を一突きするとこんなふうに中身がこぼれてくる。
俺は両目から泪をぼたぼた落としながら、キーマではなくなったものを見ていた。
「ありゃ、壊れちまった」
そいつの手が俺を拾い上げる。
異常を飼い慣らすことなんて到底出来ていなかった。飼い慣らされていたんだ。その証拠に、こちらが主導権を持っているという錯覚に陥っていた。疑いもしなかった。
その事実こそ、キーマが俺よりはるかに才能あることの証明だった。
最愛の助手にして最大のライバルだった男はいつだって強かで賢い。
すぐそばで見ているのはさぞかし退屈凌ぎになっただろう、俺の駄作を、駄作の俺を。
「ショートしちまったんだな、可哀想に」
まあ、いいや。
何度だって直してやるよ。
だからおやすみ、そいつの唇がそう動く。
それで額に触れられると母親に出会えた迷子の子どもみたいになって、俺は急な眠気に襲われる。
「最高だったよ。僕を喪ったおまえを見ているの。自分勝手ですごくかわいかった。愛してるぜ、どうもありがとう」。
月光。
生ハム。
迷宮入り事件。
未完成のキーマ。
殺せなかった男。
おまえは誰だ?
俺は、誰だ?

2+

no.283

どんなにお金を稼いでも
美しいと信じるものに使いたい
それにお金を集める力がないのなら
だけどそれはそんなに要らないよと言う
僕は悔しくなってもっと稼ぐ
無理をしていると思われたと思ったから
だから僕はそんな心配をかけないよう
もっと頭をよくしてもっとたくさんを稼ぐ
それは僕にお金より大切なことについて話す
僕は笑いながら聞いているが
そのうちそれを殺してしまう
なんでわかってくれない
おまえなんか僕がいないといないのに
僕が消してしまったのでそれはもういない
同じ日の夜に僕もいなくなった
そして僕はもう一度蘇った
何かをし忘れた気がして
それが何かはまだ思い出せない
なんとか今までのことは思い出したんだけど
それと呼んでいるもののことは思い出せない
それに見られていると僕は緊張していた
ずっと前はそれに育てられた気もする
どうして僕はそれから離れてしまったんだろう
本を読んだせいだ
たくさんの話を知ってしまったせいだ
僕はそれと僕のいた頃に戻りたい
戻ってもう二度と何も知らなくていい
それは僕に優しかった
それは僕にとってすべてだった
そんなあり方は危険だよと教えてくれた
そしてそのとおりになった
僕は道を歩いている
閉ざされた家の扉の前を
蔦が這った城壁のまわりを
死んだものと生まれてくるもの
いつか数が釣り合う日は来るんだろうか
僕はそれを思い出せない
僕はそれを思い出したい
歩き疲れて倒れ込んだ石に
それの名前が彫られている

3+

no.282

神様が意地悪だなんて
思ったことはない
夕暮れ街を自転車が滑る
なだらかな二等辺三角形
空に光るためらい傷
瞼のような切れ込みから
僕の「生きたい」が降ってくる
この世の何も濡らすことができない
誰もが進行方向ばかり見てる
方向指示器の不協和音
だから余所見はよく目立つ
蛍光色の看板の前
何かを待って佇んでいる
君と、目があう
そこにまた別の「生きたい」が見える
僕たちは名前を言わない
お互い知り合うことはない
せつなと知って記憶にとどめようとする
こんな恋があったっていい
どうせ夜には忘れちゃっても

3+

【雑記】好きは麻薬

好きなもののために好きでないもの、もっと言えば嫌いなものを頑張れるのなら、乗り越えられるのなら、やっぱり好きなことはあった方が良い。

それは意味づけをしてくれる。
なんでこんなこと。なんで自分だけ。
そう思う出来事があったりしてテンションが上がらなくても、「でも巡り巡って好きなことのためだから」と思えるんなら。

細かいこと考えずこじつけで良い。最終的には「お前が可愛くないおかげであいつが余計可愛い」みたいな、そのね、相変わらず例えが分かりづらいだろうが、嫌なことも好きなことの引き立て役としてなら受け入れられるかも知れないと言うのならそれはそうするべき。

そうするとやっぱり好きなことは持っとくべきで、強い。

何をしている時が一番楽しい?
何をしていると時間が早い?
何をしているとお腹が減らない?
何をしていると眠くならない?

特別お金をかけていなくたって人と比べてどうとかじゃなくて、自分の気持ちを動かしている、そういうこと。そういうもの。

じゃあ好きなことっていつどうやって生まれるんだろう?前世から決まっていて必ず惹かれ合うもの?それもまあ浪漫かも知れないけど、私が思うに、小さい頃の記憶とか思い出がほとんどなんじゃないか。

おふくろの味、みたいなやつ。
小さい時すごく欲しかった。でも手に入らなかったもの。
小さい時すごくさみしかった。そんな自分のそばにあったもの。いてくれたもの。
小さい時感動したこと。楽しかったこと。大笑いしたこと。

なのでね、今考えてもわからないひとは小さい時のことを思い出すのも手かも知れんよ。

4+

no.281

いつもどこかは新しくなりたい
何度でも生まれ変わって君に出会いたい

いろんな声で話しかけてみたい
いろんな形の手でさわってみたい
いろんな身長で見たり見られたり
並んで一緒に歩きたい

癖をたしなめられたい
料理をふるまいたい
いつも違った生い立ちで
記憶がなくなったとして
一から始めたい

たまには拒絶も良いかも知れない
たまには殺人者になって襲いたい
たまには医療従事者になって助けたい

ヒーローになって悪魔になって
詐欺師になってペットになって

上司になって子分になって
教師になって教え子になって
いろんな角度で見ていたい

いつか飽きるまで夢中でいたい
嫌われたって嫌うまで
ひとつではないんなら
ひとつにはなれないんなら

4+

no.280

謎謎で、骨と癒着する物質について考えた。でたらめな回答でも出題者が満足すれば正解になるからその遊びは人間関係に似ていると思った。余裕を漂わせながらもやるべきことは真剣に。ひとつでも間違えばドミノが倒れて隠していた絵柄が明らかになる。ルールを二番目に破るくらいなら一番を狙え。結局は美醜の問題なのかなと思うこともあるし、いやいや細工が巧みかどうかだと感じることもある。難しい問題をさらりと解いてみせれば僻まれる。ただしそれによって誰かを救えばありがたがられる。影響力と実力は比例しないことがしばしばある。当てはめようとすれば例外が出てきててんてこ舞いだ。吹っ切れたつもりでも視界の端で何か察知している。本当の意味で投げやりになんかなれない。じゃあ今ここで息を止めろよ。できるものか。命令を待っている。君の崇高な独裁のために尽くしたい。思考の放棄。傲慢な怠惰。それがなければ誰も喜ばせることができないかも知れない。君は呆れたように鼻で笑う。可愛い猫にはなりたくない。今まで飲んだ中で一番不味いな。まるで糞だな。そうやって一瞬だけひどく顔をしかめられる茶葉がまるで一番幸せな存在に見える。判断の正常性に意味なんか求めない。ここまでにかかった時間、わずか三秒。出した答えはありきたりなセラミック。

0

no.279

手足が動かせなくなる
声が出なくなり
明日が減っていく
希望が去っていく

ありあまることの贅沢
過剰であるという才能
高架下にひろがる楽園
口の中に血の味がしたって

ぼくはきみの守りたいものを尊重する
ぼくに対してもそうしろなんて言わない
ただ尊重する
だって簡単に奪ってしまえるものだから

そんなもの、

砂でつくったお城のようだよ
暖炉の前の雪だるま
紅茶に落とされる角砂糖
と、並列

痛いことは怖くない
皮膚が裂けること
治癒に時間のかかることや
どれかの臓器が損傷することも

ぼくには能力があるからだ
きみが一生手に入れられないもの
ぶっちゃけそれがあるせいで
たまには不快感もあるけれど

減っていく明日
訪れない未来
死に向かう肉体
衰える精神

(なあ、きみはこんなことをしている場合なのか?本当に?)

2+