no.177

遠い国の緑の景色の絵葉書はただ手の中。視線と心は東京の夜景に奪われている。舌の上に負った火傷はいつまでも消えないで欲しい。名前も知らない清掃員の背中が流れていく。競馬場で駆け足するサラブレッドが。眩しい駅。離発着する機体。霞もしないツリー、タワー。自分の体だけ移動して、骨の器に血の水槽。魂はダメージ受けないで運ばれていく。無垢でしたたかなまま。向かい合った女の子はいつかの僕。すれ違ったおじいさんはあの日の君。何も手に残らない心地良さはいつまでも忘れられそうになくてこのままひとりぼっちになるんじゃないかと思うよ。複数の笑い声もか細い囁き声も僕が許さないなら触れることは叶わない。何に怯えていたの。何を奪われた気でいたの。そんな形でもどこかで繋がっていたかっただとか眠いこと言うなよ。永遠に会うことのない僕の子どもが黄色い線の上に立っている。山手線は絡まるゆりかご。目に見えないあやとり。無臭の雑踏。明日には変化する広告。たくさんの未知なるもの。あのひとも、そしてあのひとも。足し算と引き算で切なくなれる。透明でいて単純だ。事は、そう、透明でいて単純なんだ。贈り物のマフラーに顔を半分隠していると、ほら、あたたかい。半分だけでいられることはなんてあたたかいんだろう。この距離を変えたくない。空は繋がってなんかいない。僕たちが動いた分だけ切り取られる。直線で切り取ってパッケージに詰めたら独房に差し入れて、もう少し身代わりを頼んでみよう。お願いだ、お願いだ。

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no.176

朝、あなたのぼくに言う好きですは助けてに聴こえる。
夜、あなたは助けてと囁きながらぼくにきっと死なされたがっている。
壊したいのはこちらの何です、夢?
黒板の上に貼ってあった三行とそれに見合わない野菜たち。
同じ夜明けでもどうしてこんなに胸が痛いの。いまこの頬を転がったものはほんとうは誰の目が流したものだったの。
何故いつも匿名を選ぶの。
何を映して?
何に傷んで?
薄い月が地平線に触れるころ、あなたの手が同じ形の傷跡をぼくの首に残していく。
いつか消えるように。それをたったひとりで見届ける。いつか消えていくんだ。呪っても祈っても。そこに大差はない。あるとしたら騒ぎかたの違いだけ。
産まれる前に中断をした夢のつづき。
うまく呼吸できないくらいでまた産まれることはない。
あなたが行きたい場所に行けるために百人の命が必要だとする。
戦わせたくないのはどちらかが勝つからだよ。ぼくに守られたがっている、あなただってそれを思ってる。
綺麗なふりも汚いふりも、それを願いながらその真逆を自覚したことの無意識の証明、つまりほんとうは気づかれたがってる。そのくせ指摘されたくはないんだ。
支離滅裂じゃないか。何もかも。うんって頷かなくてもここでぼくが許してあげるからあなたはいつまでも責め立てておくといい。理由、理由、理由に思えるんだ。勝手な解釈でふざけたことをって思うんでしょう。裏切られたことは一度もない。切りつけられても何度でも抱き締めよう。ぼくはあなたの言うとおり愚かな人間であり、だから繰り返すことが得意なんだ。振り向いてくれなくていい。振り向かなくていい。ぼくはあなたの言うとおりだいたい平気な人間で、あなたの態度のそっけなさに対してもそれは変わらない事実なんだよ。

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no.175

濃紺の夜に星が落ちていて拾うことができない。白く浮かび上がる龍の姿形をぼんやり見ているコンビニの前で。時間どおりに来るバスといつまでも現れないきみ。あの星は消えない涙。消せなかった命。ちゃんと、ちゃんと殺してあげるのだった。川底に揺れる骨のように青く光る疑念。後ろめたい抵抗。目は伏せられたまま。睫毛の先にしたたる血を見るために。何も怖くなかったはず。きちんと。狂ったように。上を向いて。指さされながらも。信じてさえいられれば。ナイフがきらめくあの一瞬。鼻歌を忘れなければ。微笑みを浮かべていれば。何もかもこの手にあった。捨てるほどたくさんの何もかもが。鼻歌を忘れなければ。微笑みを浮かべていれば。

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no.174

ひかりが好きだ。そして(だけど)、すみっこも好きだ。きみの好きがたまたま世間に害をなし、ぼくの好きがたまたま誰かに受け入れられた。素直になることは何かを傷つける。正直であることは何かを誑かす。どんな優しさも地獄までついてきてはくれない。言い訳をする頃にきみはいつもひとり。ぼくはいつも、ひとり。ひとがひとりひとりであることだけがこの沈黙をやわらかなものへ変えていく。産まれるずっと前にそうだったように、そしてそれは少しも怖いところのない密室。言葉でとけない刺繍はない。氷はない。謎はない。呪いはない。魔法はない。編み上げの心臓。いつか手のひらに包んで喉仏を鳴らした。綺麗なものひとつも落っことさない強欲な銀河が好きだ。誰のこともまともに見守らない、神様、あんたのぶっきらぼうな沈黙だってそうさ。

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no.173

チュッパチャプスをかじりながら満月の下を歩く。誰も首を締めてくれないから。飛び出してきたスニーカーは左右反対で、だからって履き替える気にもならない。流れ星は肌を切りつけないから。はみ出したり引っ込んだり、ひとのからだって不思議ばっかで大嫌いだ。思い出だとかこれからだとか、今じゃない話ばっかで。線路の上を歩くけど始発までまだ時間があって、親切なひとを驚かせてしまうだけ。あんなにも望んだ浮遊が、簡単に手に入って茫然自失のまんなまなのかな。初めて盗んだ飴の味は何回出し入れしても分からないや。こんな僕の舌じゃ。

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no.172

嫌いになることはないよ、好きになったこともないものを。かわいそうだからやめないでおくね、耳を傾けることをやめないきみのために。何の因果もない場所でたくさん糸を切ってそのはじっこ同士でどこかとどこかを結ぼうとするのはもっと大きな円を駄目にした犯人だと白状したくないからだよね。口封じに使った青い宝石は浮かばない死体の沈んでる湖の色素になった。朝の光より月の光をきらきらって反射させて暗号を飛散させてる。夢は大きく、心はまっすぐ。黙っておいたほうが何倍も賢く見えるよ。きみの髪の色。そう見る人の多いってこと知っているくせに。またぼくを孤立させる。ぼくがどんなに魅力を説いたって伝わりはしないのに。またぼくが虚言癖の持ち主になる。何もかも手のひらで転がしながらきみは俯く。波紋の形になんか興味はないくせに。優しい笑顔を隠すために。ゴールのないゲームはどちらかが倒れるまで終わらない。銃口の奥で魔物はまだ生まれていない。そんな状況なんだ、わかっているはず。魔物でさえ億劫なんだ、この不毛な喧嘩の無意味さ、きみはわかっているはず。

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no.171

終わりのないカレンダーをどこまでもめくって自分のいない街を思うよ。可愛いぶった音楽と新しめなファッション。間違いはそのまんまでみんな死ぬんだね。鳥がいたんならその場所は濁るよ。煙がたてば火だってつくれるよ。きみがいつまでもノーを言わないから世界はつけあがってまた明日を始めんだ。声が出ないなら首を横に振らなきゃ。目も合わせられないなら瞬きくらいはやめてみせなきゃ。つめたいものに触れていると自分の温かいことがわかるし、あたたかいものに包まれると自分の冷たいことがもっとよく分かる。そういうこと。そういうところなんだ。きみに足りない、ぼくの知ろうとしない、決定打の本質は。知ってた?目を凝らすと結晶って見えるんだ。その規則性と言ったらぼくらふたりの不安定を打ち壊して足跡を隠す雪になるほど。自分以外優れたものばかりに見えるなら、大嫌いだって叫んだっていいんだ。それくらいでもう何も壊れたりはしないから。

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no.170

夜の君、子どもか動物に諭そうとでもするみたいに優しいから言いたかったこと何も言えなくなる。雨上がりの道路を車が走って行くよ。毛布にくるまってその音を数える。いつかの僕らが逃避行しているんだ、この今も。つかまらないで。怯えながらも自由に。意地悪された数だけを数えようとするんだけどうまく抽出できないでいろんな記憶が引っ張り出されてくる。手に入れようとあがいているうちは何もかもが空っぽだった。手のひらで包んだ容器の中であの日の太陽がまるで小さな蝋燭みたいに震えて、やがて僕は祈るようになる。君が傷つきませんように。僕の痛み以外で。君が生きていけませんように。僕のいない世界で。夢で。現実で。どこででも。ひとりで。

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no.169

僕は興味がない。君がどこの誰でどんな顔でどんな声でどんな筆跡なのかについて。何を嫌って何を好んで何のために生きてきたのかだとか。許せるものは何で許せないことはどこまでで何年の隔たりがあるのか。僕たちはまだ誰も正しくとらえられない。残された時間の長さ。終わりを目前にして何を思うのか。いつも何者かであるふりをしてからっぽだった。顔を上げると星座が綺麗に決まっているから俯いて歩いた。そうすれば誰にも見られなくて済むでしょう。自転車が追い越して行く。それはいつかの僕たちだった。呂律が回らなくなったからもう何も言わない。伝わらないなら温度だけあげる。心臓をあげる。魂をあげる。誰も描けない光景、誰も書けない小説、誰も歌えない歌、誰も撮れない一枚の写真。残されることを乞わない。知らない誰かの一瞥のために息を吸う、あと一度だけ吐く。追いかけないから振り返らないで。道はほんのり発光を始めた。祈っている。願っている。捧げたいほどに。君にとって最後の一日が冷たいところじゃありませんように。呼吸と未来に因果はない。それでも深呼吸して肺に棘を溜めていく。君の中に一滴の毒も残りませんように。名前も知らないまま。顔も知らないまま。祈っている。願っている。捧げたいほどに。

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no.168

何の変哲も無い一日なんてものがどこかにあるんだろうか。僕は自分を裏切ってでも君の世界を壊したく無い。たくさんの色と風。親切に噤むと冷たいんだねと微笑する。新しかったものが古くなることに耐えられる?出会ったものが去って行くことに?誰かの位置に取って代わることに、何もなかったところへ未知のものが繁殖することに、踏み台やきっかけを忘れて行くことに、それは時のせいだねと諭されることに、いくつ耐えられる。無理だよ。泣かない君を好きになれない。もう無理だよ。あの頃は死にたかったよって笑う君はもう美しく見えない。花は散ったんだ。君は分解されてその他の命を紡ぐ。

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