【小説】七島町のうたかた

無難かつ自尊心を満たしてやるだけのセリフを吐いて後ろ姿になっても笑顔で手を振る。その子のためじゃなくて周囲の視線のため。つまりは自己愛のため。はっきり言ってそういうこと。口にすると角が立つからわざわざ口にはしないだけ。褒める。驚く。笑顔を見せる。これだけで幸せになれる人がいる。すごく効率的で問題ない感じじゃないか。誰にも攻められる筋合いはない。
「うさんくさい」。
いつのまにか側に立っていた幼馴染が毒を吐く。その図体が周囲からの視線を遮る壁になっていることを確認しておれは笑顔を引っ込める。
「何が?」。
「何もかも」。
ご丁寧に舌打ちまで付けて不機嫌っぷりを示してくる。おれが後を追ってくるだろうと信じて疑わない歩き出し方をするからあえて踵を返したくなる。しないけど。面倒だしこれ以上怒らせると厄介だから。怒っている顔はそこそこ悪くないけど限度ってものがある。強面の幼馴染にも。
「おれが消えてもいいわけ?」。
「何の話だ」。
「おれからうさんくささを取ったら何も残らなくなるって言ったじゃん。おまえ」。
「その見解は変わっていない」。
「だったら怒るなよ」。
「それとこれとは話が別だ」。
別、なのかねえ。って、おれは思う。気づかないふりのまんま。
どっちが先に言う?
おれじゃない。
お互いそう思って何年も待ってる。年季の入ったこじれは固い結び目であるとも言えて、どんな形でもいいから離れ離れになりたくないって考えに沿ってる。だからこのまんまでいいんだよ。お決まりのいいわけは電卓がはじきだす答えみたいに正確で間違えようがないけれど、打ち込む数字が違っていたら、って不安は常に残る。
「…はやく、ききてえなあ…」。
「何か言ったか」。
「言わない。コンビニのおでん奢って」。
「わけがわからない」。
「半分やるから」。
「ますますわけが」。
わからない。
レジを通すたび、店員にはどう見えてるのかなって思う。間違いなく、クラスメイト。ただの同級生。友人。いって幼馴染。それだけ。それまで。間違っちゃいない。
「あ。黒猫のケーキ買うんだった」。
「買っていいとは一言も言ってない」。
「堅苦しいこと言うなよ」。
「勝手に足すな」。
「うるせえなあ、口だけくん」。
コンビニを出て防波堤の上。卵、こんにゃく、大根。からしを混ぜて。いざ、はふはふ。
「行きたいね、どっか。行っちゃいたい。そしたらおまえ、来る?」。
幼馴染が怪訝な顔をする。それは困った顔になる。わかる、わかるよ。答えられるわけなんかない。だって、この町は狭い。できたばかりのコンビニは、この町の初めてにして唯一で。何をレジに通したかなんて拡めようと思えばいつだって拡められるんだ。
「おれは、」。
「ストップ。言うな。聞かない」。
幼馴染は何か言いかけた間抜けな顔のまま、前を向いた。
「おれはね、わかってるよ。おまえが嘘をつけないことくらい。わかってる」。
潮風は体に染み付いて、新しい場所でも最初は臭うだろう。それを少しずつ、上手に、消していくことが、おれにはできるから。少なくとも、いま隣の、不器用な幼馴染よりは。
「大丈夫。コンビニがあるから」。
なんかいろいろまとめ過ぎたんだけど、たぶん何も訊いてこない。もし口を開いたなら、かぶせるように畳み掛けて先に帰ってしまうんだ。
だけど何も言葉が出て来なくて、薄暗くなるまでそこにいた。
ふと、このままどこへも行かない。という選択肢、ずっと前に棄て去ったはずの選択肢が再浮上してきたんだけど、目を瞑って首を振って抹殺した。その仕草をどんなふうに解釈したのか幼馴染は、風邪をひくといけない、と言った。なんでいけないの。おれが風邪をひくとどんなことがいけないの。おまえになんの関係があるの。おまえに、なんの、関係が?
よほど問い詰めてやろうかと思った。でも口を開いたらろくでもない台詞ばっか出てきそうで何も言えないで頷いて立ち上がった。風に煽られたレジ袋が音もなくさらわれてって、ぽちゃっと海面に落ちた音だけ。たくさん後悔するだろう。この先何度も打ち消すことになるだろう。
これを、しても、しなくても。
手を引く。名前を呼ぶ。全部おれのせいにしてって言う。
呪ってやる。打ち寄せるだけの波、腰を下ろした堤防の感触、しょっぱい風。
何も、こんなにも、好きにさせなくても。
舞い上がったかに見えた白いレジ袋も、明日になれば波打ち際にむざんな姿で見つかるだろう。吹き上げられた瞬間の華麗さも身軽さも失って。そう考えたら体が軽くなって、笑えてきて、しまいには腹を抱えて笑うから、やがておまえはおれに呆れた。

袋から取り出しておいて置き忘れた黒猫のケーキ。
明日になってもきっと、思い出せない。

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no.154

見違えるような新しい朝、疑いもなくおはようございます。を言う朝に、昨夜の二人はどこかへ消えて床に落とした絵本は跡形もない。通じない言葉、翻る掌、影絵の中でだけ縄をすり抜ける体の一部。神様と呼ぶのは可笑しい。そこにいるのならいちいち呼ばないだろう。何度別の角を曲がっても君の背中に辿り着いてしまう、坂の多い街。人の営みに関わる輝きのすべて空に昇って誰にも探されないありかを指し示している。透明ばかりで胸焼けしそう、野良猫の鳴き声も君のでたらめも分厚い辞書も等しくくだらなくてかけがえがない。窓から放り投げたら次は何に生まれ変わろう。あんなにも委ねた表情をしなければ今頃どこにいなくてもよかったのにね。首を絞めたときに。心臓を撃った時に。川へ沈めた時に。呼吸を塞いでおやすみなさいを言った朝に。

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no.153

好きなものに好きって
言ったら終わる魔法
とじこめておかなくては
気づかれないようにしなくては

あのひとは夢の遠い街
夜がすみれ色に降る一日の終わり
覚えていられる言葉は減って
ほんのみっつになっていく

ぼくと
きみと
新しい真夜中

手さぐりで何を探すの

凶器

名札
目隠し

砕けたステンドグラス
瞬きしたら元どおり
誰も信じはしないけど
ここも今も夢の中だよ

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no.152

針の尻尾にリボンをつけて
傷とも呼べない傷
誰にもわからないよう
あのひとだけに見つかるよう

思慮深くはなれない
彼女たちみたいに
謙虚さなんて持ち合わせてない
彼らみたいには

あなたは垣根のむこう
すぐそばにいていばらのむこう
何度騙しても怒らないのは
いつか僕を置いていくからだね

行間の迷路
涙が怪物に変わるまで
だけど彷徨うことをやめてしまえば
いつもの悪夢にみつかってしまうの

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no.151

きみについての悪口をきいて僕は深く眠れる
相対するもののなかはこんなにも柔らかくて優しいのか
繊細であることを悲劇だと思わない
愛されない余地しかないみたいに見えるから好きだ
みんなが目隠しをして夜を歩くんだ
繋いだ手からは何もわからないことをそこで初めて知るんだ
誰もが一度はめざして降ってきた雨ならば
傘を忘れたせいでずぶ濡れになったくらいで憂鬱になんてなりっこない

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no.150

一日の終わりに朝から再生する。なかったかな。間違いはなかったかな。誰も困らせなかったかな。誰も悲しませなかったかな。自分だけだったかな。すべてひとりよがり。カーテンのむこうでタイヤが雨粒を弾く音が聞こえる。きれいなものが消えていく世界で、思い出ばかりいつまでも輝くと宣言する。つくられる傷の数や深さが決まっているんだとして。だから早めにやり過ごしたいんだとしても。一気につくってしまっては息絶えてしまうよ。食べられるごはんの量が決まってるんだとして。一度に食べてしまえば噎せてしまうよ。好意も、悪意も。ひとつずつ口に入れて噛み砕くこと。用法用量をよく守って健やかに生きること。けっして約束を破らないこと。黙ってどこへも行かないこと。何があってもひとりで死なないこと。きみが口を開くなら、僕は。ショートケーキに向かわせていた手だって止める。止められるんだよ。だからそんなふうに子ども扱いをしないで。

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no.149

君が今もどこかにいるなんて信じたくない。
空と水平線の境目は透明になっていて、それは一見、青色に見えたとしてもまた別の世界から漏れた光かもしれない。
僕らが光にあたたまる時、誰かが凍えて口をつぐむんだ、見ず知らずの恋人たちの得体の知れない愛のために。
今はもう、どこかへ消えてよオクトーバー。
君のいない僕がいることで、昨日より心臓は少しだけ軽い。

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no.148

どんなにか良いだろう。
いま僕がここで君の手を離したことが、百年後、誰かの命に繋がって、これまでにない光がお互いの瞳に宿ったことを誰かが知って励まされるのであれば。どんなにか美しいだろう。瓶の中の夕闇がいつか誰かの夢に現れて魔物から身を守るあたたかなマントに早変わりするならば。どんなにか尊いことだろう。誰もあずかり知らないところで、出会う予定もないひとびとが、ひとつの旋律に耳をすますとき、戦争は遥か遠いおとぎばなし、語り合うまでもなくそばにある平和、それぞれにとっての言語は第三者の耳に心地良く、毒は甘く、蜜は分け与えることができ、その身に宿した新しい何かは誰のものでもなくすべてのひとが触れていいのだとしたら。
どんなにか。それは、どんなにか。

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no.147

体に悪そうな色のお菓子ばっかり食べているところ。きみは本当は死にたくなんかないんだろうね。一度もふれたことのないひとの考えかただもの。それが僕にとってはいつまでも眩しく微笑ましいよ。屋上から飛び降りるときどんな感じがしたかって?最高だったんだ。白い部屋で目を覚まして諦めたんだけど。わかってるって言ってやる。誰かが歌うみたいに簡単じゃない。僕にはわかるって言ってやる。言葉が嫌なら黙っていてやる。夜空を見上げると自分の存在がちっぽけに思えてくるなんて大嘘だね。どこまでも限りなく置き去りでどうしようもないんだ。みんな溶け合ってもう真っ暗なのに、僕にはほのかな白が残されている。それは君にも。支え合いたいわけじゃないけれど人によってはそういうことになるのかもしれない。僕が捨てなかったものすべてを思い切って放り投げても、空は拒んで頭上に流星を降らせるだけだろう。待っていてもすぐには来ないけどわざわざ行動しなくても期待外れのいつかはやって来る。いつか、かならず。

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no.146

離すために掴んだ。何もしなければ景色の一部だった星の砂。これからたくさんのわからないものに出会うだろう。傷がつくだろうし涙はながれるだろう。そのときになって疑うようなことがあってはいけないから、真実をここに記す。君を愛して失ったものは何もない。毎日は薔薇色だったと。

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