no.89

目覚めると眠りに落ちるを繰り返す日々。少量の水と食べもの。どうして空腹感に左右されてしまうんだろう。考えていることはひとつだったはずなのに。新しいことを始めようとするときいつも吹いていた風が吹いていてそれが揺らす。そう古くないレースを。喪に服すとはこんなかんじかな。ぼやけて、薄っすら明るくて、なんだか甘ったるくて。傷を描くときだけは光がまぶしくなかったよ。いることの理由があった気がした。ここにいていい理由があった気がしたから。理由をつけたがるところが、思ってみれば根源だったのかもね。理由だったのかもね。いろんなわるいことの。ああまた使ってしまったな。どうしようもない。この一日を誰かへ渡せたらよかった。ほんとうの不幸はそれなんだ。ぼくたちはぼくたちの一日をどこへもやれない。すなわち、どこからももらえない。さみしい顔をしているからってたすけてほしいわけではないんだよ。どんなふうかな。名前のついたものひとつひとつが本当はその名前じゃないと知ったら。どんなふうなのかな。誰かの大切なものを、大切になるかもしれないものを、つま先で蹴ったら。泣かないために笑ってくれ。一度にふたつはできないだろう?きみって。だったら笑ってくれ。輪っかの下に作った椅子は受精しなかった卵白のお菓子でできていて、ただそれがための不幸だったと、きみが笑ってくれ。続きを願うことにもう飽きたんだ。最後は見えなくなるまで砕いてください。もう二度と誰によっても直せないように。魂はもったいない。誰のやさしさも、不安も、ここへ注がれてはならない。

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no.88

手っ取り早く受け入れてくれそうなところを見つけて手っ取り早くそこへ甘えに行く。自分がしたら嫌悪感で押しつぶされそうになるはずのそんな行為でもきみがしているとかえって気分がいいくらいだ。どこにでも売っているからって誰にでも手に入るものではないんだね。ぼくたちは主語を欠いた会話を好む。優しいから。ルールといったらそれくらい。ひとりひとりが約束を破って勝手に幸せになってったんだ。自分の失敗を他人事のように話して感触を確かめる。目隠しして舌触りを確かめるみたいに。丹念に。重なっても重なっても潤わないことを、捨てても捨ててもまだ余ることと同じくらい幸福だと考えた朝があった。夜があった。ジュースは手の窪みから溢れ、書き取る暇もないほどいろんな光が乱舞して。意味の与えられないものを愛することが成熟の証なんだと、衒いもなく表明した朝があった。夜があった。傍のひとは明るい眼差しで頷いた。変わらないことを望んだから、変わらなかったね。進まないことを望んだから、進まなかったね。すべてが思い通りになる世界で、結晶を編み続けた。吐いて捨てながら。嘘を抱え、秘密を安売りしながら。きみは羨ましいと言う。ぼくの何を知って。きっと、何かを知って。きみにはぼくが何かを持ったふうに見えるんだろうな。ぼくから見たすべてのものが、ことが、ひとが、きみが、そうであるように。色が尽きない。曇ったレンズの奥で星座を再構築する。他愛ない無知のひそかな特権として。愚かに。明日にも病まないために。忘れないために。意識をそらすんだ。誰にも、死んだって頷かれたくない。

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no.87

ぼくのやさしさは
うわべだけのものだ
意地悪より簡単に
それで切り離せるからだ

居心地のよさは
興味のなさを示してる
きみは知ってる
ぼくをずっと見ていた

待っていた
きみは
なにも言わず
一睡もせず

時間をかけて
ひとり去って
時間をかけて
そしてぼくがひとりになるのを

疑わなかった
確信を持っていた
そしてそのとおりになった
ぼくもどこかで理解していた

ここへ向かっていた
ひとりひとりのようで
ふたりで歩いてきたんだね
真心をたくさん蹴落としながら

死角を保って
清貧を徹して
疑心暗鬼をはねのけて
新旧の明滅のなか

いともたやすく
やむことのない乱反射を越えて
とげとげしい祝福に微笑み
あまったるい羨望に唾して

最初でさいごのただいま
凍えた舌が本心に怯える
二度と許されないと思った
たどり着いた最果てはこんなにも眩しい

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no.86

我にかえってはこの夢はさめる
指から力が抜けて全部床に落ちてもいい
計算できなくてもいい
なにも正しくないことをわかったままでいい

夢をみていた
夢をみていた
しあわせの意味を知ったとき
初めて口にしたとき

たったひとりだった
白い光でぬるくなった水
赤い脈と青い脈が規則正しくて
あなたはそれを乱したい

視界の端でモザイクタイル
懐かしい味がする
からっぽの口の中
乾いた風が瞬時に潤う

夢のなかで
遠いはるかなゆめのなかで

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