no.96

話していないことがたくさんある
いつかいつかと先延ばしにして
ずっとそのままにしてあることが

明日降る雨のにおいがわかるの
きみが生まれる前を知っているの

気配の中でふたり
ふたり揃わない呼吸をしていた

先に出て行った方が負けだよ
よかったね、きっと
そんなわかりやすいルールなら
誰にも伝わりやすい関係なら

ぼくを透かして見るきみの世界
染まりきった一日
終わりの選べる毎日
白い貝殻に悲鳴を閉じ込めて

きもちのいいことだけで埋め尽くしたい
それはきみにとっては
だけど地獄かもしれない
そういうことなんだ

素直になるよう強いることは
そういう極論を許すかもしれなかったと
理解はできても悔やみ切れないよう
そんな形でさえここに何か残りますよう

いくつも声を閉じ込めて
貝を波へ放つとしよう
響きのない静かな暗さの中で
もう一度ぼくを名づけてみるなら

0

no.95

数えるのをやめたのはいつだったか
それさえも遠い昔のようで覚えていない
しあわせなぼくたちの消し方
何度も手を伸ばしてはそこで終わった

遠く離れた肉親の近況より
毎日見ているブログの作者の愛猫が
きのう死んでしまったことが哀しい
誰に冷たいと言えるだろう

通り雨の訪れを知って飛び出した
それが猛毒であるという妄想のもとに
安全な場所から欲するばかり
本当は何が欲しいのか分かることはない

ひたむきさは必ずしも必要ではないんだ
汚い手でもちゃんと掴むひとだっている
綺麗事しか言えない口に期待はいらない
無責任な崇拝もほんとうはいらない

光の入り込む余地もない
大きくて平らな瞳
映し出すものを知られたくなくて
そんなにも誰からも隔たっているんだね

転校初日の校舎の壁の色
また明日くるかもしれない風の匂い
新しいというものはどこにもなく
古いものの集まりの中で切り込んでいく

夢や幻に向かって歩いて
その通りにならなかったとして
責めたい彼等はどこにも見当たらない
既に追憶のはるかへ置き去りにした

時効だけ頼りにして優しいんだよ
そんなにも睨むのではないよ
誰も強くなかった
それに気づいたというだけのことじゃないか

0

no.94

認めたくないけれどきみは最高だ。どんなときもずっとそうだった。認めたくないけれど。どんな思い出があるんだとしても、少なくとも気取られない。そうすることに失敗するやつだっているんだ。ぼくが一度もそうできなかったみたいに。熱を、完全にうつすことはできない。何かから何かへうつすとき、そこには必ず別のものが入り込む。そもそも余地はあるんだ。異物は禁断症状を招いたり、結晶化して取り出せたりもする。リスクを取り除くことはできない。ふと我に返って手のひらに結露が浮かんでいるのを認める。言わないで。言わないで。きみにとってもどうしようもないものが、ずっと側にある。最高だけど最強ではない。不可能の種類によって人は人を選別し、悼み、愛している。

0

no.93

一日の終わりに
切り取られていく
思い出が
直線の屋根と屋根が

まるでなかったような記憶
昆虫の羽根を透かして
覗きみるときに
むこう側からもこちらをみていた

なにも無くさなかったような顔で
お互いに名前を知らない
顔も見知らない
すれ違うだけだったひとびと

得意だったこと
好きだったこと
後ろも前も
上も左もない軽い世界で

幸せを語るとき
ほんとうはもう終わっていたんだ
大切なものに順序はないけれど
いちばん手放し難い季節は

挑むこともないであろう
山のいただきへ
行き着くことはないであろう
遠い星の光で

0

no.92

いなければ
ぼくが
あなたの道の上に
いらなければ

よかったのに
そしたらそんなに
たくさん失うことも
なかったのかな

だけど言う
あなたは言う
失ったものはひとつもない
失ったことは一度もない

からのてのひらだから
空がつかめるという
星にも届くと
あなたは言う

ぼくの目をみて
ぼくにも笑って

それで知る
みんなのものだと
思い出す
他人のものだと

うぬぼれるところだった
また落ちるところだった

どこまでもこのままで行く
どんなはじっこまでも
ぼくはひとりで歩いていける
そのことだけは誰にも邪魔をされない

0

no.91

恨みごとが
星になる世界があったなら
どんなにか
夜は明るいだろうと思う
どこまでも

幼かった夏の一日にそそがれた
たくさんの柔らかいものを返す相手
それは
もらった相手以外でないといけない
でないとそのうち枯渇するから

まだ信じられないんだ
あなたもそうだろう
そうだといいなって
思っていてごめんね
願ってしまってごめんね

たまに囁くんだ
誰ということもない
しかし誰でもある声が
いろんな音が重なった声が
まだ生きていたのって

何回か捨てたはずだった
消えていたはずだった
視線をそらすように簡単に
だけどそれは違う過去における未来
今ではなかったということ

何を防ごうとするの
愛しかたも知らないくせに
何から逃げようとするの
入り口さえくぐっていないのに

垣根のまわりを彷徨っただけ
誰かが誰かを呼んでいたときも
そんなものはないって
そんなことはありえないって
耳をふさいで
目を見開いて
こんなことは起こってはいないって

何を破ろうとしたの
向き合ってもいないのに
何が妨げたの
たいした命でないのに
誰も教えてくれなかった

指先ひとつで肯定も否定もできる
作り笑いは見破られる
美しいものはいつか消え失せる
そしてそれはあなたを置き去りにするだろう

知らないふりをしたから
優しいふりをしたから
見てはいけないものを見たから
嘘をひとつもつけなったから

0

no.90

名前のない集団を抜け出した。誰にも告げずに。境界線をまたぐと、あの日割れたコップ色の空。忘れていた。だれのせいでもなく、ある日それが割れてしまったこと。忘れていた。それを持っていたことさえも。そのくせ手にした時のことはよく覚えてる。案外そんなものなんだろう。かざした手に色が染み込んでいく。それを誰も見上げない幸福。そこかしこに見ず知らず、神様の影を見る。ぼくは誤解しているんだと知る。まだ認めたがらない自分も。遠回りは何よりの楽しみ。記憶は繰り返し再生されるたびに書き換えられて今じゃほとんど、そもそも起こらなかったことに等しい。うわべだけでも繕えないところはどうしたって変えられなかった。それも知っていた。魔物は必ずあらわれる。一日一回。耳たぶを撫でる風の中から囁く。か細い直線から滴った血の中から。ひとかけらカッターで切り取って新しい夜を連れてくるよ。ぼくが向き合うきみのなかに。朝しか知らない、かわいそうなきみ。

0

no.89

目覚めると眠りに落ちるを繰り返す日々。少量の水と食べもの。どうして空腹感に左右されてしまうんだろう。考えていることはひとつだったはずなのに。新しいことを始めようとするときいつも吹いていた風が吹いていてそれが揺らす。そう古くないレースを。喪に服すとはこんなかんじかな。ぼやけて、薄っすら明るくて、なんだか甘ったるくて。傷を描くときだけは光がまぶしくなかったよ。いることの理由があった気がした。ここにいていい理由があった気がしたから。理由をつけたがるところが、思ってみれば根源だったのかもね。理由だったのかもね。いろんなわるいことの。ああまた使ってしまったな。どうしようもない。この一日を誰かへ渡せたらよかった。ほんとうの不幸はそれなんだ。ぼくたちはぼくたちの一日をどこへもやれない。すなわち、どこからももらえない。さみしい顔をしているからってたすけてほしいわけではないんだよ。どんなふうかな。名前のついたものひとつひとつが本当はその名前じゃないと知ったら。どんなふうなのかな。誰かの大切なものを、大切になるかもしれないものを、つま先で蹴ったら。泣かないために笑ってくれ。一度にふたつはできないだろう?きみって。だったら笑ってくれ。輪っかの下に作った椅子は受精しなかった卵白のお菓子でできていて、ただそれがための不幸だったと、きみが笑ってくれ。続きを願うことにもう飽きたんだ。最後は見えなくなるまで砕いてください。もう二度と誰によっても直せないように。魂はもったいない。誰のやさしさも、不安も、ここへ注がれてはならない。

0

no.88

手っ取り早く受け入れてくれそうなところを見つけて手っ取り早くそこへ甘えに行く。自分がしたら嫌悪感で押しつぶされそうになるはずのそんな行為でもきみがしているとかえって気分がいいくらいだ。どこにでも売っているからって誰にでも手に入るものではないんだね。ぼくたちは主語を欠いた会話を好む。優しいから。ルールといったらそれくらい。ひとりひとりが約束を破って勝手に幸せになってったんだ。自分の失敗を他人事のように話して感触を確かめる。目隠しして舌触りを確かめるみたいに。丹念に。重なっても重なっても潤わないことを、捨てても捨ててもまだ余ることと同じくらい幸福だと考えた朝があった。夜があった。ジュースは手の窪みから溢れ、書き取る暇もないほどいろんな光が乱舞して。意味の与えられないものを愛することが成熟の証なんだと、衒いもなく表明した朝があった。夜があった。傍のひとは明るい眼差しで頷いた。変わらないことを望んだから、変わらなかったね。進まないことを望んだから、進まなかったね。すべてが思い通りになる世界で、結晶を編み続けた。吐いて捨てながら。嘘を抱え、秘密を安売りしながら。きみは羨ましいと言う。ぼくの何を知って。きっと、何かを知って。きみにはぼくが何かを持ったふうに見えるんだろうな。ぼくから見たすべてのものが、ことが、ひとが、きみが、そうであるように。色が尽きない。曇ったレンズの奥で星座を再構築する。他愛ない無知のひそかな特権として。愚かに。明日にも病まないために。忘れないために。意識をそらすんだ。誰にも、死んだって頷かれたくない。

0

no.87

ぼくのやさしさは
うわべだけのものだ
意地悪より簡単に
それで切り離せるからだ

居心地のよさは
興味のなさを示してる
きみは知ってる
ぼくをずっと見ていた

待っていた
きみは
なにも言わず
一睡もせず

時間をかけて
ひとり去って
時間をかけて
そしてぼくがひとりになるのを

疑わなかった
確信を持っていた
そしてそのとおりになった
ぼくもどこかで理解していた

ここへ向かっていた
ひとりひとりのようで
ふたりで歩いてきたんだね
真心をたくさん蹴落としながら

死角を保って
清貧を徹して
疑心暗鬼をはねのけて
新旧の明滅のなか

いともたやすく
やむことのない乱反射を越えて
とげとげしい祝福に微笑み
あまったるい羨望に唾して

最初でさいごのただいま
凍えた舌が本心に怯える
二度と許されないと思った
たどり着いた最果てはこんなにも眩しい

0