【小説】りっちゃと夕暮れミルフィーユ

夕暮れミルフィーユ。待ち焦がれたように焼けた空。平成最後の夏休みが始まった日。
「ねえ、りっちゃ」。
おれは、生まれて初めての失恋をした。
「辞めるのかよ」。
りっちゃ、こと、白河律は、本質にはふれず深刻に訊ねて来た。
学校、辞めないよな、それくらいで。
二言目には脅迫だ。
「うーん、どうしよっかな。なんせ人生初の失恋だからな。もう立ち直れないかも」。
迷う素振りを見せると、律は鞄の中をごそごそし始めた。何が出るかな。そわそわ期待しながら待っていたら、煙草。
「りっちゃ、やめい」。
「夏休み入ったからもう学生じゃねえもん」。
いろいろ間違ってるけど、うん、決めた、言わない。
こいつの屁理屈に付き合うと厄介だって、おれが一番わかってるから。
「よかったじゃん。あんな女。おまえと合わないって」。
「どうだろ。清純だったよ」。
「清純?ハッ、笑える」。
の割にはニヤリともせず律は吐き捨てた。
「ごめんね、りっちゃ。おれのせいで、禁煙、破らせて」。
「てめえ起因じゃねえ。自惚れんのもたいがいにな」。
「あと、ごめん、素に戻らせちゃって」。
高校デビューの、学級委員長さん?
「誰も見てねえからいいっつうか」。
河川敷の向こうから同じ制服の奴らが歩いてくる。同級生。
律は煙草を持ち替え、背筋を伸ばした。
目を疑うような爽やかな笑顔を浮かべる。
気づいた一人が手を振る。
律は笑顔のまま振り返す。
そいつらの視線が気にならなくなると、また元の手に煙草を持ち直した。
「ごめんね、りっちゃ」。
「今度は何だ」。
「実はね、おれ、気づいてた」。
「は?」。
律の顔がまともにこっちを向く。
ほんっと、こいつ、バレバレだな。
唇でふれた唇は、つるりとした感触だった。
今まで感じたことのない心地。
そうだな、もっとかさかさしてるかと思った。
期待どおりで、想像以上。
「……は?え?」。
律の顔がみるみる赤くなって(たぶん)、口は何か言いたそうに、でも何も言い出せずにパクパクしている。
「りっちゃ、今さらなんですけど。わかんなかった?」。
「わ、わかるかよバカ、何やってんだ」。
「新しい恋、始めてみました」。
「……なんつった」。
「もとい。この恋、始まってました」。
「……は?」。
「いつまでも幼なじみを手こずらせるわけにもいかないので。おれはね、気づいてたよ。おもしろくて目が離せなかった。でも、りっちゃ。おまえ忍耐強いから、なんか、もう、めんどくさいんだわ。精神構造的には墓場まで持ってけるタイプでしょ。ただし露呈しやすいという弱点は否めない」。
「……なに、言ってんだ」。
「なんで毎度そんな熱い目で見るわけ?バレてないとか思ってたんだろ?すっげえ分かりやすくてこっちが冷や冷やするわ」。
「な、なななぬの話がだよ」。
「言っていいなら言いますけどー。てか、噛みすぎ」。
「いい、言わなくて、いい」。
律は煙草をもみ消した後、両手でゆっくりと顔をおおった。
そのまま自分の膝小僧に埋もれるようにして3分経過。
また顔を上げた時、まだ目の縁は潤んでいた。
「い、いやじゃ、ねえのかよ」。
消え入りそうな声で。
「いや?いやどころか毎回楽しくて。ほんとに好きな子の前で好きでもない子のこと好きなふりするの、たっのしくてさあ!」。
律はしばらく反芻した後。
「……てめえ……ひとの心をなんだと思ってやがんだ」。
俊敏に立ち上がった律の回し蹴りが肩口にヒットする。
律の体つきから到底想像できない威力に土手を転がったおれは、情けない音を立てて浸水した。
「やばい、折れた、りっちゃ、まじまじまじ、これまじのやつ」。
「はあ?」。
「すいませ、ほんとすいませ、痛い痛い肩が痛い、立てない立てない立てないから。変なふうにひねったっぽい」。
ちょうど負傷した肩口から川に突っ込んだおれは溺れるはずもないところで溺れようとしていた。
「りっちゃ、たすけて、しずむ」。
「たすけて?」。
「ください」。
「不完全」。
「神様律様仏様おねがいです助けてくださいっ」。
おれの発した悲痛な叫びを聞いて、表情筋の死んだ律の顔がニタっと崩れる。

「ま、いいぜ?」。

おいおいおい、こんなでいいのか、おれ、こんな顔つきで人命救助するやつでほんといいのか。いま絶対、借りを作ってやったぜ。くらいに思ってんだろ、あっ、うーん、無理もねえか。平気なほうの腕をガシッと掴まれ引き上げられる。指先、動く。骨は折れていないみたいだ。

「りっちゃ」。
「んだよ」。
「しあわせになろうね」。
「……もう、なってっから」。

そう言って律は睫毛を伏せたその先端に夕陽がとろとろ溢れて、ちょ、なーにー?これかわいい。やだもー、しんじらんなーい、おれの幼なじみ超絶かわいいんですけどーレッツヘルプミー?

転校生だった、りっちゃ。初対面のときほんと天使かと思ったよ。中学の頃は手のつけられない不良だったのに、おれの行く高校にあわせて学力と人格変えてくる、そんなりっちゃ、半端ないって。羽目を外して退学ならないよう優等生然として学級委員長まで引き受けちゃう、そんなりっちゃ、最高じゃね。

「えーと、両思い記念に、手とかつなぐ?」。
「がねぇし。なに考えてんだよてめ。誰かに見られて噂になんだろうが」。
「えー、いいでしょ、だっておれのこと好きじゃん?」。
「うぬぼれんなバーカ」。

とか言って、りっちゃ、ちゃんと嬉しそうだ。
寄り道なんかしなけりゃよかった。
こんなに時間が濃くなるなんて。
たくさんあげよう、たくさんもらおう。

りっちゃと夕暮れミルフィーユ。

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