【雑記】サーカスが僕たちにみせるもの

サーカスを観た。

サーカスが人を惹きつける理由の一つは、すべての芸当が危険と隣り合わせだからだと思う。

男性が足だけで支えるはしごをつたってテントのてっぺん近くまでのぼっていく女性を見ながら、ハラハラする。「もしかしたら落下するかもしれない」。半分怖いもの見たさみたいなところがある。首にロープをかけ、全身の重さでくるくる回転する二人の女性。ライオンに鞭を振るう調教師。大丈夫なんだろうか、胸の前で手を合わせながら「大丈夫ではない場面」を想像する。

血。惨劇。悲鳴。観衆のパニック。
目撃してしまうかもしれない、という恐怖。

期待。

そのイメージがあって初めて本当に楽しいのだと思う。

そのイメージがあって初めて成功した時の歓声と拍手があるのだと思う。

集中力を一瞬に込める時、呼吸を整えている。このシーンを笑いながら見ていいんだろうか、不謹慎じゃないだろうかと余計なことを考えてしまう。

人を楽しませるには自分も楽しまなくてはいけない。

こういうことがよく言われる。アスリートだってインタビューではこういうこと言う。
でもそれは表向きとか後付けで、それだけじゃない。

楽しいって言い換えている、他の部分があるんじゃないか。一般的に「楽しい」と言われて思い浮かぶ心象とは少し異なる要素が。大変な努力とかきつい練習とかそういうものを乗り越える要素って、狂気めいた何かじゃないか。

でもそれは救いになる。笑顔でワクワクドキドキしてるだけが「楽しい」じゃなくて、その先にあるものを見据えて一瞬の犠牲やリスクをも乗り越えさせてくれるもの。それが外から見たときに「楽しい」になりやすくて、芸人さんとかそうなのかなーとか思った。

楽しい楽しいだけで成功する人のどこかに欠点を見つけようとすることがあるけど、見方の問題もあったのかもしれない。

本当に楽しいだけだったのか。見落としていないか。無かったことにしていないか。

サーカスが私たちに見せるものは非日常的の中の日常。
虚構の中のリアル。
誰もがどこかでそれを期待していた現実。
だけど隠しおおせたことへの安堵。
みんな自分に拍手をしていた。
その顔はどれもこれもちゃんと明るく笑っていた。

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